Dream Art Laboratory


リスク要因はリスクではなく、不安要素は不安ではない

リスク・危機管理・不安・危険・覚悟・恐怖克服方法

より強く生きるための方法であり、成功するための方法です。

生きるってことは、それ自体リスクの連続だ。
どんなにリスクと闘って勝ってきても、逃げ続けてきても、次のリスク、さらなるリスクがやってきて、もう避け得ないものなんだ。
死の危険が最も大きなリスクだけど、大中小様々なリスクがこの世には存在している。

いつか病気になるかもしれない。
交通事故に会うかもしれない。
恋愛が破綻するかもしれない。
大切な人がいなくなるかもしれない。
誰かから危害を加えられるかもしれない。
失職するかもしれない。
株や投資で大損するかもしれない。
敵対者が現れるかもしれない。
大震災や津波が起こるかもしれない。
子供のこと、職場の失敗、大切な人の病気と死、ペットの死・・・・・・

数え上げればきりがない。

普段食べているものに、発がんの危険性があるかもしれない。
飲んでいる薬に副作用があるかもしれない。
宇宙線が体に悪いかもしれない。
ローンが払えなくなるかもしれない。
コンセントにホコリが降り積もって火災になるかもしれない。
漏水して部屋中水浸しになるかもしれない。
パソコンのデータがすべて吹っ飛ぶかもしれない。
財布や鍵を落とすかもしれない。
上から鉄骨が落ちてくるかもしれない。
高速道路で運転中、車が故障するかもしれない。
お店で生モノを食べて食中毒になるかもしれない。
生活保護が打ち切られるかもしれない、減らされるかもしれない。
ノストラダムスや古代マヤの予言が当たるかもしれない。
・・・・・・・・・

もう生きるってことは、リスクの中で生きなくてはいけないと同意語のように思えてしまう。
人も動物も、危険や危機に直面するために生きているのかと思うほど。

そんな中、まるでリスクなんかないように伸び伸び生きている人がいる。
悩みなんかあるのか? と思う。
幸せな奴だと思ってしまう者がいる。

それに比べて、「なんで私だけこんなに思いをしなくてはいけないのか」と嘆く。
危機や不安ばっかりの人生なのに、さらにリスクが毎回強化されて襲ってくる…。

このリスク(危険・危機・不安要素)ってやつとどう向い合って生きるか、これでその人の幸福や価値まで決まっていく。

それに怯えて生きている人は、さらなるリスクと不安を引き寄せる。
しまいには、リスクがないのにもかかわらず、予期不安でリスクを引き寄せて、自分がリスク製造マシーンにしてしまう。
リスクではないものにも、リスクを見出し、想像の世界でリスクを強大化させて、実体以上の不安を感じてしまう。
それが今だけじゃなくて、死に至るまでリスクに苦しめられる。

その一方、あるリスクへの覚悟(対処法)を獲得した人ほど、心の平穏や充実感を感じられる。
ピンチもチャンスに変えてしまい、大きな成功のきっかけとしてしまう。

一般論で言うと、リスクはない方がいい。
そしてリスクに直面しない生き方が、安全で最上の生き方だと錯覚してしまう。
それは親だろうが教師だろうが、社会全体がそうなっている。

しかし、「そのまま最後までピンチなく行ってくれよ」と思うが、そうは問屋が卸さない。
一度生まれた以上、生き物はいつか必ず死ぬ。
その時点で、 すでにリスク要因や不安要素と、人は共に行きていかなくてはいけない運命にある。

実際問題、リスクはどんなに避けたくても、なくなれと思っても絶対に無くなってくれない。
まるで空気中に水蒸気があって、時折雨や雪が降るように、この世に存在してる。
いつでもどこでもリスクという人に不安、憂鬱、恐怖感を抱かせる厄介なやつから、我々は逃れることは不可能だ。

根性がある人や頑張り屋さんは、「ならば、私はリスクと闘ってやる!」と戦おうとするかもしれない。
しかし、その心意気は素晴らしいけれど、こんなに山ほどある、それにいつ襲ってくるかもしれないリスクと、その都度闘争していたのでは、長い人生で心がまず持たない。

リスクから逃げるのが嫌で頑張って闘い続けてしまうと、マイナスの結果を生んでしまうことがよくある。
見返りなんか感じられない。あれだけ闘ったのに成果は少しだけだ。
次なるリスクが降りかかってきた時、またエネルギーをとらわれて呪いにはまる。
その繰り返し。

いつか闘争エネルギーも先細りしていく。
かつてできていたことができなくなっている自分に気づき、脳みそも混乱していく。

ならば避けるしかないのかと、いかに回避するかに全力を傾けてしまうと余計たちが悪い。
まず人は、リスクから逃げ続けても逃げ続けられるものではない(天災・人災・病気・人間関係・労働 etc.)。
逃げるたびに、安住の地がどんどんなくなり、逃げ場がなくなったらもうおしまいになる。

それにリスクから避けようと頑張れば頑張るほど、こずるく知恵を使い、どんどん器が矮小化していってしまう。
いつも自分が助かるために脳みそをフル回転している…そんな自分を好きになりようがないし、人からの評価も低い。

考え方が矮小化してしまうと、昨日平気だったものが、今日はそれがリスクに変わっていて、また逃げなくてはいけなくなる。
その悪循環の繰り返しを永遠とやってしまう。

どちらの方向に行っても、結末は最悪しかない。
じゃあ、世の中は闇じゃないか! 
絶望するしかないのか!! 
そう思うと、いつの間にか更なるリスクがうじゃうじゃ自分の周りにまとわりついていく。
こうなると引くことも戦うこともできなくなる。
ただなぶり殺しの人生になる。

リスクがあったら、普通、避けるか、立ち向かうか、その両方かしか人はしないものだ。
だけど、実は別の方法がある。
私はそれしか、リスク要因をリスクでなくし、不安要素を不安じゃなくする方法はないと思っている。

さて、リスクというとひどく抽象的だから、人に置き換えてみたい。
例えば、自分にとってのリスクがある(危険・危機を感じさせる、いけすかない、敵対者)人間がいるとしよう。
そのリスク要因をどう処理するか、やはり、うまく回避するか、それとも逃げようか、闘うか、その混合か、どれかをやってしまう。

仮にその人と闘いつづけても、強烈に悩みのドツボにはまってしまう。
相手の反応を伺うことにエネルギーを使うようになってしまうし、そのことだけに執着してしまうからだ。

「あいつに勝ったか、奴はどう反応したのか、結果がどういったか、負けたくないぞ」と思うと、彼の動き、状況に常に病的に敏感になる。
そればっかり常に考えて心をすり減らす一方、自分の豊かな心を有効に使えず、疲労困憊になる。
焦り、不安、そねみ、いらだち、恐怖、そればっかりの人生になる。

人間はプラスの感情があって、初めて生きる実感と喜びを味わえる。
本来なら、プラスの感情を味わいたいがために、闘ったり、うまく避けようとするのに、本末転倒だ。

では、リスク要因から逃避したとしよう。
逃げても逃げても、まだリスクは存在している。
そして「今日はどうか、明日はどうなるのか? またあいつが来た、今度は別の人間がリスクになった」となる。
結局、それだけの世界にはまり込み、逃れるどころか、いつのまにかリスクにどっぷり浸かっている。
「ああなったらどうしよう、こうなったらやばい」という予期不安で身動きがとれなくなる。

逃げてもダメ、戦って切り抜けようとしてもドツボにはまる。
勝利をおさめても、次なるリスクにいつか直面する。
「なぜまた俺ばっかりこんな目に会うんだ!」「こんなに努力してきたのに・・・・」「これさえなければ・・・・疲れた、もうダメだ」となる。

このリスクを、各々のリスク要因(心の悩み、成功への障害)に当てはめて考えて欲しい。
何をどうやっても切り抜けられないどころか、自分を追い詰めていきはしなかったか…。

リスクの対処法とは、『(リスクが)あってもそれがなんなんだ!』と思って、自分の世界を走るだけでいい。
リスクを背負うとは「リスクがあろうが無かろうが、自分は関係ない、それでもこっちに進んでいく」ということ。
いろんな危険や不安要素があっても、それでも走る。
そういうことしかない。

いちいちムキになって闘うと、自分の歩みを止めてしまう。
動きがとれなくなって、脳が疲労困憊になるし、そのくせ勝者になっても一時的にしのいだだけ。
打ち破っても、何ら先に進んでいない。

ただ変な執着だけが残っている。
リスクを背負いたくないからこそ闘う、それではリスクはまた襲い掛かってくる。
闘っていながら、逃避をしているわけだ。

だからリスクとは闘うものじゃないんだ。
永遠、闘いつづけボロボロになって、年をとるまで対処していたんじゃ、自分のいいところが発揮できない苦しみだけの人生になってしまう。
せっかくの闘う意気込みが無駄にきす。

自分のやりたいと思っていることに没頭したら、戦いなんかにかまっている暇はない。
かまっていたんじゃ、やりたいことに頭が使えないし、エネルギーも発揮できない。
常にリスクの動き(人やしがらみ、ピンチ、病気、予期不安など)が気になる。

「そんなものいようがいまいが関係ない。どうでもいい。私はわたしはこっちにいくんだ!」ということ。
それぐらい発想や思考をずらさないと、リスクも将来への不安も雪だるま式に増えていくだけ。

エネルギーがある人は、いちいちリスクと戦っていない。しかし逃げてもいない。
リスクを背負っていく覚悟だけはある。

では、それはイバラの人生になるか? というとそうじゃない。
不安に強くなる。
自信がついていく。
覚悟も強化され、
割り切りもつく。
そういう人間にもうリスクは存在しているのか?

もちろん存在していないわけがない。生きているのだから。
しかし、それを背負って生きているから、10のリスクが、その人の中では1にしか感じられない。
闘争や逃避の人は、客観的に見れば1のリスクなのに50ぐらいに肥大化させてしまっている。
この違いはほんとうに大きい。

私もリスクは大歓迎で生きている。
俺の生きている中で、そんなものはいくらでも存在すると思っている。
だからこそ結果的に不安なんか感じない。

もともと誰よりも不安を感じやすい人間だったけれど、今は楽しい事ばかりを拾える。
もちろんリスクはたくさん襲いかかっているわけだけど、「それがどうした、何なんだ」と思って生きている。
落ち込みもしないし、そういう自分自身が好きだと断言できる。

かつてはナイフみたいに尖って、リスクと戦う人生だった。
が、 リスクを背負ってでも生きていく覚悟を持ってからは、一日として落ち込まないし、クヨクヨしたこともない。

それぐらいリスクへの対応如何で、その後の生き方に差が出てしまうんだ。
リスクへの覚悟は、逃げずに闘う覚悟ではなく、背負ってもいい覚悟、といっていいと思う。

実は闘おうとするのも一種の逃避かもしれない。
背負いたくないからこそ打ち勝とうとするからだ。

リスク要因や不安要素へのとらえ方はそうやる。
何でも考え方やとらえ方って、本当に重要だ。

しかし、インストールするソフトを間違えると、悩みを強化し続けることになる。
考え方を変わるだけで、かなり楽に生きられたり、強く生きられる。
あとは脳と心の底にいかに叩き込むかだけだ。

しかし意固地になって戦って疲労困憊になっている人、逃避ばっかりやってきた人は、とてもそれを受け入れられる枠がなくなっている。
いつのまにか脳みそが非常に狭い範囲でしか使えず、もったいないことにマイナスを生み続ける固定観念や認知にとらわれてしまっている。

そういう人に、「そういうことじゃないんだよ、こういうことなんだよ」と言っても、「頭ではわかっているけど…」となるだけ。
だから、いくら懇切丁寧に言い聞かせても本当の理解にはならない。
そこに悩み解決の難しさがある。
心理カウンセリングがホッとはすることもあるけれど、最終解決に至らないのはそういうところだ。

だから、なぜそういう考え方しかできないのか?
リスクのことで言えば、リスクと戦うことしかできなかったのか? 
なぜ避けようと必死になったのか? 
必ずその人の中に原因や生き様が介入している。

その中のマイナスの経験が悩みの種になって、もろく傷つきやすくさせたり、脳がコチコチに固まる原因を作っている。
そこを処理していくことで、はじめて頭の表面(理性・知恵)からではなく、真の理解が出来るスペースが脳に拡がってくれる。

私の言葉・知恵袋集は、まず頭でわかることが大事だけど、さらに先に進むためには、心の底から気づくことが必要。
そうでなくてはいけない。
アタマの表面でわかっていても、現実に大きな変化を起こせたことがあっただろうか?
逆に大きな変化や結果を起こせた時、情動や直感と密接な大きな気づき(悟り敵気づき)に至っていなかったか?

知識だけを得ても時間がだらだらと過ぎていくだけ。
だから脳覚醒トランス状態を使って、脳の奥深くに暗示の力で定着させていく。
悩みのタネの処理を強力に推し進めていく技術を用意しています。
真の理解(感覚での気づき)に達した時、自分を悩ませる問題が嘘のように氷解していくでしょう。

そして、リスクが世の中に沢山あるけれど、背負って生きていけるようになる。
それはもうリスク要因でも不安要因でもなくなるに違いない。

逆に、自分がさらに先に進むためのありがたい触媒にしかならない。
そこまで行ったら、もう不安も感じにくい人間になるし、より自信と強さが加速度的に積み重なっていきます。
覚悟がもて、すぐ割り切りがつく、どんなことが起こっても悩まない人になるはずです。

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発言者:岩波英知

1946年栃木県生まれ 東京と大阪で世界最先端の独自の脳内プログラムを開催。 誰ももたらすことができない決定的な脳内体感を体験した多くの有名人や芸能人、医師や経営者にファンが多い 。


自著(奇跡の脳覚醒)より抜粋

脳の魔術師、鬼才と呼ばれる心理脳内コンサルタント。 若い頃より人間の計り知れない可能性に興味を持ち、脳に関する独自の研究を行う。 そして、誰も到達できない脳覚醒技術の開発に至る。 その技とノウハウは世界一と称されており、岩波の脳覚醒セッションには、その凄さと評判を聞きつけたクライアントが世界中から駆けつけている。 また、その技術のみならず、岩波の言葉は多くの人に大きな刺激を影響を与えている。


執筆者・編集者:Dream Art Laboratory 担当スタッフ

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※現金一括払いのみとなっています。


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