親の器量と心の余裕が子育てを成功に導く
親の器、度量、余裕の大きさが、子供の心をたくましくする
親の器量の大きさが子供の精神的余裕を育みます。
さらに子供の心がいっぱいいっぱいになった時こそ、親の心の余裕、器量、度量の大きさを試されます。
それが子供の混乱した心に安定をもたらしてくれる。
折れかけた心を修復してくれる。
子供にいい未来をもたらせられるかどうかは、親自身の器量や余裕にかかっています。
誰だって子育ての素人。しかし一人の人間としての器の大きさは持っておくべき
どんな親であれ子供を育てることはギリギリの精一杯の行為だ。
子育て論に正解なんてないのかも知れない。
ただ子供の感情を抑圧してしまい負荷を与えてしまうのか、
自己肯定感を育み、心に余裕を持たせてノビノビとした子供に育て上げるかは、
親の度量や器の大きさに左右されるところがある。
そして多くの場合、親がその親から余裕のない育てられ方をされた場合、あるいは感情的抑圧や精神的負荷がかかったまま大人になった場合、ある部分で視野が狭くなってしまっている。
社会をたくさん見てきて、視野の広さを得たと思っていても、いざ自分が子育てする番になってしまうと、幼少期から積み重ねられた余裕の無さが、ここに至って露呈しやすくなる。
我が子だけには冷静な子育てができなくなる罠
特に「自分の子供だけは…!」と思いが強まるほど、『こうあるべき』『そうならねばならぬ』の念が強まって、愛情関係なしに子供を追い詰めてしまう結果になる。
それで育った子供は、表面上いい子だけど心がもろくなって、ギリギリ生きざるを得なくなったり、その途中で心が折れてしまったりする。
また教師の子供が不登校になりやすかったり、精神的な悩みを抱えやすいのも、『正しい教育方針』が余裕ある心を育む機会を奪ってしまうことにあったりする。
いくら教育のプロであっても、こと子育てに関しては、親である以上、途端に融通の効かない視野の狭い存在になりやすいんだ。
子供は失敗して怪我して恥をかいて当たり前
人間は誰だって、失敗したり、ちょっと道に外れたりするけれど、子供はそれが当たり前だ。
その中で怪我をして、学んで、方向修正していく。
最初から完璧にやれる子供なんていない。
しかし、「いい子に育てよう! 立派な大人になるようにしつけねば! 子供の将来のために今が大事!」という親の持つ強い思いが空回りすることがある。
親もたくさん失敗して、子育てを方向修正してくものだけど、自身の心の余裕のなさが潜在意識に巣食っている場合、冷静に客観的に物事を見られなくなってしまう。
ちょっと自分の思い描く方向と違うところに子供たちが行こうとすると、何も起きないうちから、心配と不安とあせりから、子供を無理やり型にはめすぎてしまう。
子供は子供の感情やエゴに沿って動こうとしているから、視野の狭い子育てで感情的しわ寄せが来るのは子供たちだ。
視野の狭い教育、余裕のない想念、ガチガチの子育て
例えば、「どんなミスも許さない、恥をかくようなことも絶対ダメ」で、「常に正しくまっすぐ歪まないように」子育てしてしまうする。
そうなると、子供は期待通りに成長してくれず、表向きはいい子を演じながら、内面はボロボロになっていることが多い。
「こうあるべき」という教育は決して間違いではないけれど、心理的にも潜在意識的にも脳の余裕の観点から言っても、理想のこうあるべき将来には繋がりにくいことも確かだ。
子供には子供の人生があり、別の感情とエゴを持っている。
親の度量
逆に「お前は好き勝手にやってもいい、警察に一度ぐらいならお世話になってもかまわない。ただ同じ間違いはするな、それは馬鹿だから。でも一度ぐらいコケたからって気にするな。人生は一回だしもっと楽しめ、感情が満たされた人間は必ず人に優しく出来るようになるし、喜びを与えられるようになるから」という子育てをしたとする。
極端な例かもしれないけれど、そこに親の度量の大きさが表れている。
親にこれぐらいの態度をとられると、子供は少しぐらいズッコケたからって、自己否定をせずに巻き返すことができるし、そもそも自由にノビノビ育ってくれる。
生きることに怯えなくなるし、感情が豊かに育まれる。
何かあっても、失敗が許されないギリギリの精神状態と違って、脳に余裕があるから解決策を自分で見つけ出せる。
もし自分で難しいと思ったら、親に相談することへの精神的負荷も少ないから、親子一緒に問題解決に取り組める。
親の過度の心配、不安、焦り…子供は身動き取れなくなる
警察にお世話になるような世間様に顔向けができないことを、起きる前から怯えて、無理やり型にはめすぎた教育をしてしまうと、子供はちょっとした失敗で精神的余裕を奪われてしまう。
まして、人から意地悪された時、対処不能に陥ってしまうだろう。
親に怒られる、心配かけてしまうと子供が不安になると、誰にも相談せずに、一人で戦うことになる。
心がギリギリなのに、孤立無援で戦い続け、異常な孤独感とマイナスの感情に襲われ続けてしまったら、どんな人間だって心が折れていくに違いない。
頑張ってしまうような子供だったら、なおさら反動でボロボロになっていくだろう。
心の抑圧のはけ口がないまま時が過ぎたら、内面、もしくは外に向かって暴発行為をしてしまう可能性が高くなる。
不登校、自傷行為、ひきこもり、不眠症、うつ病、不眠症、不安障害、神経症的症状…。
外へは逆に警察沙汰になってしまうケースはよく見受けられる。
まだ起きていないうちから、たった一度の間違いに親が怯えていると、必ず子供に伝染するし、子供の自由や余裕を奪う。
何か小さなことでも嫌なことがあると、自分で悩みの量を増幅させて自滅してしまう。
愛情と執着の難しさ。子供のためか? 親のエゴか?
愛情は絶対的に親子関係では必要なものだけど、時折、親自身のエゴの押しつけになっていることがある。
子供の将来を考え、愛情を与えている子育てのように見えて、実は親自身のエゴに過ぎなかったり…。
子供の心や行動や感情、そしてエゴに制限をかけすぎると、警察沙汰や社会的事件は起こさないまでも、罪の意識だけ内面に向かわせ、心が折れやすくさせてしまう。
もしそのまま抑圧を溜め続けてしまって生きてしまうと、今度はどこかで外に向かって暴発してしまうことになりかねない。
物損行為、家庭内暴力、自傷行為、警察沙汰…などだ。
心や脳には、余裕や枠の大きさが必要だ。
それがあるから、正常に作動する。
自分で自分に迷惑を与えてしまう成長は不幸
社会的倫理観は確かに必要だし、人様に迷惑をかけない生き方をどこかで学ばなければならないけれど、自分で自分に迷惑をかけてしまう生き方はどこまで行っても不幸だ。
自分は感情を出してはいけない、楽しんではいけないと大きな枷を人生に当てはめて潰れていく大人は多い。
そういう人が多くプログラムに通ってきているから、親としては予防のためにも、今変わる必要があるのかもしれない。
子供が潰れやすくなるのは、親の器量や余裕のなさに起因していることがほとんどだ。
親に余裕があれば、子供も心が広がり強くなる。
不安や心配は親として持って当然の感情だけど、ボタンの掛け違い一つで、こうやって子供は潰れてしまう。
不登校やひきこもりが表面化した時、親の度量をさらに問われることになる
そして不登校や引きこもりや問題行動が起きたら、さらに親の不安や心配は増してしまう。
「このままいったら、新聞沙汰になるんじゃないかしら…」この焦りと不安はさらに悩んでいる子供にマイナスとなる。
そういう時こそ、あらためて親の余裕、度量が必要とされる。
子供がピンチで心配でたまらないからこそ、慌てず騒がず、余裕を持って自分をコントロールでできる人が、子供の混乱した脳を収めてくれる。
子供が幼児期であっても、小学生であっても、思春期に突入していても、さらには不登校になったり、引きこもってしまったとしても、どの段階でも親の器量は必要となる。
問題解決の一番の原動力となってくれる。
それは親としてではなく、一人の生身の人間として必要なことだ。
そして、親自身が変わることに手遅れということはない。
親子関係は一生続くのだから。
ただし、どうせならば早い段階のほうがいい。
発言者:岩波英知 1946年栃木県生まれ 東京と大阪で世界最先端の独自の脳内プログラムを開催。 誰ももたらすことができない決定的な脳内体感を体験した多くの有名人や芸能人、医師や経営者にファンが多い 。 自著(奇跡の脳覚醒)より抜粋 脳の魔術師、鬼才と呼ばれる心理脳内コンサルタント。 若い頃より人間の計り知れない可能性に興味を持ち、脳に関する独自の研究を行う。 そして、誰も到達できない脳覚醒技術の開発に至る。 その技とノウハウは世界一と称されており、岩波の脳覚醒セッションには、その凄さと評判を聞きつけたクライアントが世界中から駆けつけている。 また、その技術のみならず、岩波の言葉は多くの人に大きな刺激を影響を与えている。 |
執筆者・編集者:Dream Art Laboratory 担当スタッフ |