性の圧倒的抑圧力とその影響 生きづらさの多くが性の抑圧から作られている
性の抑圧、罪悪感、それはそのまま生きづらさに直結する
性に関する話です。
性(性欲、自慰行為、セックス、エロ、風俗、異性関係、LGBTなど)に関することは、想像以上に、そして異常なくらい、その人の内面・無意識に大きな影響力を与えます。
破壊力といった方がいいかもしれない。
性に関してタブーを持ったり、問題を抱えた人ほど、性の悩みだけにとどまらず、男女関係にも大きな支障をきたし、ひいては何事にも心がもろくなりやすいのです。
性は罪の意識と直結しており、性に対してひどく閉鎖的すぎると、そのまま日常生活で大変な生きづらさを感じなければいけなくなります。
本能と密接に関係している問題のため、性への抑圧や罪悪感を解放させないと、ずっと悩み続けることになります。
性がタブーの家庭環境=人間不信になりやすい、人間関係が苦手になりやすい
性に関して明るい家と、閉ざして、いやらしい話にタブーな家では、そこで育った人間に、その後の生きやすさ・生きにくさに大きな差が出てしまう。
例えば、性的にきわどいシーンで無言のままチャンネル変えるような家、いわゆる性に対しオープンじゃない環境で育った人は、その度合いに比例して病みやすくなりやすい。
男女関係が自然に望める人がいる一方で、必要以上に異性に固定観念的こだわりを持ってしまい、緊張・萎縮して苦手になってしまう人たちもいる。
ましてや人間関係も自然じゃなくなり、社会生活もうまくいかなくなる。
性の問題や悩みは、本能と密接に結びついているものだから、理性で解決しようとしても、解決できるものではない。
逆にそこを放置し続けてしまうと、手の届かない深い暗闇から、人間の意識的行動、無意識的行動すべて悪い影響を与えていく。
そういう意味で、心の悩みと性の問題は、非常にリンクしているところがある。
行動がうまく流れない、不自然さが出てしまう人は、性に関しても異性に対してもぎこちないし、うまく流れないし、不自然になっている。
その逆もそうだ。
性に関して乱れている家庭環境も病みやすさを作る
もちろん性にオープンすぎて、いわゆる淫蕩で不道徳な家庭で育った子供は、同じくボロボロに病みやすい。
自分という存在意義を子供は見いだせなくなり、自己不信に直結する。
一種の精神的虐待をずっと受け続けているのに近く、自己肯定感が持てないまま大人になり、ひどい孤独感と脆い心のまま自分を傷つける方向に行ってしまう。
人間の最も生きる上で重要な愛の感覚を得られないまま、つまり自己承認欲求が満たされないまま成長するから、どこかでしわ寄せが来てしまうのも無理はない。
本能から発する罪悪感=性の抑圧が原因
逆にあまりに性を閉ざしすぎていて、社会的に立派に真面目にやっている環境でも、いびつに育ちやすい。
性に対してしっかりしていることと、タブーにして閉ざしている家は違う。
性をタブーにする後者は、親が人間としてどこか不自然だったりする。
性欲は、食欲、睡眠欲と並んで人間の三大欲求なんだけど、他二つは気楽に話しやすいが、性に関してだけはあけっぴろげに話すことははばかられる。
罪の意識を感じやすくなり、だからこそ無意識に抑圧しやすい。
本能を過度に抑圧しすぎるると、人の行動や思考に大きな歪みを生じさせる。
その抑圧が、その人の行動すべてに枷をかけ続ける。
結果、生きづらさが増していく。
自然にやることができなくなり、地を出せず、常に演じているか、緊張を感じている自分になっていく。
それが性の問題にもフィードバックしていく悪い構図が出来上がっていく。
勃起不全や不感症、性への過度の潔癖感、逆に性的倒錯…どこかに悪影響を与えていく。
人間は動物。本能である性欲を完全無視したら歪みが生じやすい
異性(同性でもそうだが)と付き合ったり、交流があったりするということは、人間の本来大切なこと。
そして、人間は人間である前に動物だ。
オスとメス、生物としても、性に関することは避けて通れない。
それがちょっと歪んだり、流れが悪いってことは、いろいろな意味で障害を起こす。
それって精神的な緊張が生じるとか、自分に自信がないとか、コンプレックスを感じるとか、人の目を意識する、円滑なコミュニケーションが図れないなど、いろいろなマイナス面があらわれる。
異性関係だけじゃなく、性のタブーの数が多ければ多いほど、人間関係が自然に流れなくなる。
そこで、もたついて時間だけが流れ、経験と自信を積み重ねる機会がないままだと、自分が人と比べて否定感、劣等感が生じたり、自分は欠陥を持っている、ダメだとなってしまう。
生きる意味も生きる喜びも精力も失っていく。
さらに、「ダメだから、うまくいかないから…」という思考の悪循環で、さらに異性に対し避けたり身構えたりすると、もっと流れがまずくなる。
一生、いい関係が築けないまま、孤独感が募っていく。
しかし、恋人を作ろうとしても、経験値も不足しているから、年齢とともにもっと縁が無くなっていく。
自分を無意識的に押し殺してしまう原因
そうなるのも、性に対して自然じゃない、どこか歪な環境で育った影響が大きい。
無意識・潜在意識・抑圧という観点から言うと、本当に大きな影響を知らず知らず、私たちは受けている。
性にタブーな家の雰囲気は、自分を押し殺す人間を作り上げてしまう。
誰だって性欲があるのは当たり前で、自然なことなのに、それがタブーとなっていると、子供は無意識的に戸惑う。
その結果、無意識に抑圧するしかなくなり、行動にどこか重しがのったような、不自然な歩みになりやすい。
性をタブーとする親自身、病んでいる?
そもそも性をタブーとしてしまう親自身、そういう環境に生きてきて、地で生きていないとか、演技して生きていたり、生命的な解放感をもって生きていなかったりする。
親子関係も、だからいびつになりやすい。
そんな雰囲気の中だから、子供はどう自分を発揮していいかわからないとか、発揮していきてはいけないと思い込んでしまう。
自然に生きたいのにどうしても難しい人は、性的なことに対しての過去の環境を振り返ってみたほうがいい。
本能のものすごいエネルギーを閉ざしたその抑圧のパワーを知ったら、悩んで当然だとおもうほどだ。
性と無意識
何度も言うけれど、性は、本当に心に大きな影響を与える。
フロイトもそこに注目していた。
フロイトといえば、無意識の概念を打ち立てた心理学上欠かせない人だ。
実際的には意識上でしか人の心理に対処できず、無意識の深い世界には手が届かなかったけれど、性に関する彼の着眼点は素晴らしい。
一部に首をかしげざるを得ない理論があるけど、どれだけ人は性の部分に大きな影響を受けて育つかという所に着目したのは鋭い。
性って、人間の本能に一番近くて、原始的情動と密接に結びついている
普通生きていくための知恵は理性の分野。
悩みって、その理性と本能とのはざまで生じていたりする。
本能を抑圧する人ほど理性に頼り、自分の理性によって生きづらさを作り上げる
理性が強すぎて本能を抑圧してしまったりすると、本能が死んでいき、生きる感動がなくなり、心がもろくなっていく。
悩みが強い人は、性の部分の抑圧がすごくかかっている人が多い。
性が良い・悪い、はしたない・崇高だとかじゃなくて、愛とか希望とか歓びとか、意外と性とか本能といったものが根幹を占めている。
それは理屈じゃない。
だから、性がタブーだと、セックス以外の様々な分野で、抑圧が非常にかかりやすい人間になってしまう。
抑圧して生きないほうが生きる喜びと感動が寄ってくる
性の部分は生きる喜び、感動でもある。
理性的な社会情勢の話をしても心は動かないけど、男同士、あるいは女性同士でも、性の話、男女の話をしたら、非常に盛り上がったりする。
普段その素振りを見せない人ですら、だ。
話の中身を聞いたら、レベルの低いくだらない話をしているのだけど、話をしている人同士通じるものがある、感情的共有がある。
それは本能に即した話だからだ。
情動を震わせやすいんだ。
本能を通じ、共有の部分を通じ、人とのコミュニケーションの空気を良くしてくれる。
ホッとした感情を与えてくれる。
相手の地が見えるから安心できるし、相手もこちらの地をかいま見ることができるから、距離が近くなる。
だから、そういう意味でも、何気ない日常ですら、性は大きいんだ。
コミュニケーションが得意な人は、性がタブーな家に育っていないケースが多い。
それはそのまま自己表現力の開放につながっている。
親子関係が良くない家と性とのリンク
大体、性など本能の部分がタブーになっているときは、親子の対話も空気が悪い。
淀んでいる。
親子関係でも性はリンクしている。
道徳教育として正しいと思って、性に関する話や空気感をまずいものとしてしまうと、子供に無意識的にも戸惑いが生じる。
罪の意識をすり込みやすくなる。
それだけで、もう空気はどんより、重苦しいものになる。
例えば、エッチなシーンがお茶の間で流れると、凍り付いた張りつめた空気になって、無言でチャンネルを変える親に育てられると、子供は性以外でも抑圧をしやすくなる。
地を出しちゃいけないと思ってしまい、人間関係でも気後れが生じる。
もしきわどいシーンの時に、チャンネルを変えるにしても、冗談を言ったりして、カラッとした明るい空気を流せる親の子供は、人間関係も構築しやすい。
自分自身を発揮しやすい。
性のトラウマ、勃起不全、不感症
こんな何気ない日常よくあるお茶の間の性のエピソードでさえ、その後の心に多大な影響を与えるのだから、もし性的被害を受けた人ならば、脳へのダメージはどれほどか計り知れない。
尊厳、生きる意味を一瞬にして抹殺してしまうほどの威力だ。
インポテンツも不感症も心の抑圧や緊張、焦燥感とリンクしている。
つまり、生きていく上での悩みは、何でも性と結びつけることができるぐらい、多岐に渡り深く深く根ざしている。
人間関係構築能力、コミュニケーション能力に長けている人と性の抑圧の関係
性には、人生に深くえぐられるように書き込まれる部分もあるならば、逆に人生が出てしまう部分もある。
その人の持っている性のオーラが、人とのコミュニケーション能力にまで影響する。
話す能力だけじゃなくて、ボディタッチの部分にも影響が出る。
肩を叩いて「よお!」「またね!」とやって、やられた相手と親密感が出たりするけれど、性にたいしてタブーをたくさん持っていると、例えば女性の肩に触れること事態が、触っていいのかな、触ること自体罪に感じるというくらいギャップが出る。
無理に触ったとしてもぎこちない、それが相手に違和感を感じさせたりする。
つまり自然にできないんだ。
コミュニケーション能力が高い人は、それが自然で流れてできるが、性の環境とリンクしている。
女性でもそうだ。
男性にもてる女の子はボディタッチがうまい。
無意識にさわったりしているからもてるのもある。
それは自然でうまく流れている。
細かく計算しているわけじゃない。
その人の人生がボディタッチ一つだけで現れる。
その裏に性が密接に関係していることは言うまでもない。
これはセックスの経験が豊富とかそういうことじゃ全くなくて、その人が、どんな家庭環境で育ってきたか、そんな些細なことでわかってしまうということ。
性がタブーだった家の子供が、異性を意識し出す思春期を迎えるが、そんな人ほど、普通に異性と話をすることさえ、戦場に行く気持でやってしまう。
ただ単に女性が苦手とか得意とか、口説くテクニックがあるないとか、そういうものじゃなくて、性の対しての意識の構築の差がそこで出てしまう。
孤独感とセックス依存症、自慰行為依存症
もう一つ、性を抑圧してしまう人がいる一方で、性に溺れる人もいる。
それはそれで歪で、過度に依存しているのは、ある種の病気だ。
男性でも女性でも、セックス依存症は、孤独が原因であることが大きい。
自慰行為への過度の依存もそうだ。
愛の確認を繰り返さないと自分がもたない。
その時だけ、自分に相手を引きつけないと孤独になりそうだという気持ちからだ。
自分を肯定するため、性に執着してしまう。
そのほとんどが一時しのぎに終わって、本当の肯定感や孤独からの脱却が成し遂げられないため、さらに依存していく。
そこに本当の愛情はないため、愛情で満たされることはほとんどない。
あったとしても錯覚か、ほんの一瞬だけだ。
しかし、それ以外自分の孤独感を癒してくれるものはないと思うため、ますます異性に執着しやすい。
どちらにしてもバランスが大事になってくる。
性に関し、過度の依存にしても、罪の意識にしても、バランスを欠いた行動は、その人のそれまでの人生と密接に関わっているんだ。
性に関する何気ない言葉ですら心を傷つけ、尊厳も破壊する
子供時代の環境だけじゃなく、成長してからも、様々な男女の葛藤がある。
女性に男の性的自信をなくす言葉をかけられたり、女性でも、自分の心情を無視し、ただ性欲のまま無碍に扱う男がいて、人間不信になったりする、そういう大きな人生の出来事が、性に関して頻繁に起きている。
いつの時代でも、それぐらい人間の心に大きなウェイトを占めている。
ストレスと悩みで、精力も性欲も早くに枯れてしまったとか、勃起不全に陥って、圧倒的な自信喪失を経験し、ショックで自己否定感・劣等感の固まりになったりする。
性的いたずらをされたトラウマによって、自分を汚らわしい存在だと思いこみ、性的にもっとボロボロに堕ちていく女性もいる。
性のトラウマや体験値は本当に恐ろしい。
人間は理性で自分を変えられない。本能レベルからやらなければいけない
つまり理性ではどうにもできない、一番それとほど遠い世界にあるのが性の部分だ。
その威力は本能と密接に結びついているだけに圧倒的だ。
情動の部分まで簡単にやられてしまう。
それだけに、性に関しての出来事が心の傷となった場合、理性では到底対応不可能になのは当たり前。
トラウマじゃなくても、性への解釈が歪な環境で育った人も、必ず今現在に至るまで影響を受けている。
いや今後もそうだ。
じわじわと影響を受けるためわかりにくいが、無意識にしっかりと抑圧されている。
そして、理性ではコントロールができにくいものであるため、つまり演じ隠しきれないものであるため、その人のそれまでの思考や環境が最も表れてしまう部分だと言える。
その人の人生の変遷がそこに出てしまう。
逆に言えば、現在の何らかの心理的苦境が、性の部分から見た場合、原因解決に向かうための新しい発見があるかもしれないということを言いたい。
現在の生きにくさの原因は、複合的要因にせよ、性の部分がどこかにあるからだ。
それは意外にその人の人生を左右していたりする。
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発言者:岩波英知 1946年栃木県生まれ 東京と大阪で世界最先端の独自の脳内プログラムを開催。 誰ももたらすことができない決定的な脳内体感を体験した多くの有名人や芸能人、医師や経営者にファンが多い 。 自著(奇跡の脳覚醒)より抜粋 脳の魔術師、鬼才と呼ばれる心理脳内コンサルタント。 若い頃より人間の計り知れない可能性に興味を持ち、脳に関する独自の研究を行う。 そして、誰も到達できない脳覚醒技術の開発に至る。 その技とノウハウは世界一と称されており、岩波の脳覚醒セッションには、その凄さと評判を聞きつけたクライアントが世界中から駆けつけている。 また、その技術のみならず、岩波の言葉は多くの人に大きな刺激を影響を与えている。 |
執筆者・編集者:Dream Art Laboratory 担当スタッフ |