人間関係の悩み解消のために
うまくいかせる方法と潤滑油の必要
対人恐怖症、神経症、あがり症を克服するための人間関係
生きていく上で最大の味方であり、障害でもある厄介な人間とは何かについての話です。
人間関係がうまくいく、流れるとはどういうことか、どうすればいいのか、潤滑油の必要性など参考にしてください。
心の悩みや対人不安、神経症・あがり症などを克服するために、「人間」攻略は必要不可欠です。
仕事で成功するためにも、職場で苦労しないためにも「人間関係」「人間心理」を攻略しなくてはいけません。
当所の各心理・脳内プログラムは重点的にそれもやっていきます。
例えば ──右か左かで言うと─── 大した才能も中身も鋭い感性もなく、勉強やきついことが嫌いで、遊び歩いている人間がいるとする。
もしかしたら裏でどんな悪いことをしているかもしれない。
もう一人は、勉強やきついことにもめげずに一生懸命頑張り、すばらしい感性を持って、非常に大きな価値を生み出せる”可能性”を持った人がいる。
後者の人間性は立派、前者はくだらない印象を持つだろう。
何も障害も無くいけばその通りだろう。
しかし、人間・人間関係・そのしがらみという厄介な障害が待ち受けている。
社会での人間の表面的な評価
人間の世界(社会)では、その人の実際の価値は二の次、三の次という悲しい現実がある。
理想論は違うにしても──。
「人とうまくいく、いかない」「人からもてる、もてない」の差は、情けなくも厳しいことに、人間の表面的な評価がほとんどだ。
人は、本当のその人の価値を見抜くことはしない。
できる人はできるが、いちいちみんなに適用しない。
表面的な印象で好き嫌いが分かれてしまう。
そういう困った前提が存在する。
裏で悪いことを繰り返している人でも、簡単にいい人という印象を与えられる。
例えば、マスクをした近所のおばさんに会ったとしよう。
そいつは「うざったいなぁ、めんどくさいなぁ」と裏で思っていても、表面的でも元気にちゃんと挨拶して、「風邪ひいたんですか? 大事にしてください」「花粉症ですか? きついですよね。もうちょっとの辛抱ですよ」と言う。
言われたおばさんは「なんてあの子はいい子なんだ」とある種の感動が起こる。
少なくとも悪い思いはしない。
つまり、そいつの表面だけみて、本当の価値(この場合は裏で悪いことをやっている本性)を見れない、見ない。
どうしても表面だけで判断してしまう。
自分の感情を揺れ動かしてくれた、そのことだけで、その人のことを許せてしまう。
悪い印象が与える評価への影響
一方、後者が、何か挨拶したくない…めんどくさかったり、そんな心の余裕がない。
人と会っても挨拶していいものか思い悩んでいる人とする。
そんな人が同じマスクのおばさんに会っても、かったるいし、気が引けるから挨拶しない。
この人は奥底に大きな価値を持っていて、前者とは人格的にも雲泥の差がある。
しかし、挨拶すらしなかったために、おばさんに、「感じ悪い」「何か変なこと考えている」という印象を持たれてしまう(あくまで例え)。
そんな印象をもたれたら、次には「あの人はちょっと何考えているかわからない、怖い…」という表面的印象だけで、評価を下されてしまう。
自分で思っている理想・自己像とかけ離れたレッテルを貼られてしまう。
内面にすごい可能性と価値を秘めていたとしても、まったく評価もされない。
表面的印象だけで全人格までも決めつけられる。
職場でも学校でも世間でもどこでも同じことだ。
ここがまずいと、疎外感を被ったり、高く評価されなかったり、悪意を向けてくる敵ばかりになったりする。
特に職場は人生の殆どを占めるし、近所づきあいも引っ越しができない人にとっては一生ものだ。
ここでしくじると、灰色の世間の中で、対人不安を日々高めながら生きなくちゃいけなくなる。
人間関係は、ほんの例外を除いて、今言ったようなこと、それだけの世界かもしれない。
深層・内面の奥底に秘めたすばらしい価値観は誰もわからないし、知ろうともしない。
同時に内面の本性も気づかない。
みんな自分のことで精一杯だから。
だから、「体大事にして」という言葉だけで「なんていい人なんだ」「感じがいい」となってしまう。
そういった人間関係の潤滑油をまき散らしている人は、とても人の中でも動きやすいだろう。
人からも大事にされるし、許されやすい。
極論すれば、たった一言、あるいはたった一度の挨拶や笑顔だけで、明るい世間をずっと渡っていけるんだ。
たとえ後者が、おばさんのことに内心好意を持っていたとしても、表面的な潤滑油を流さないということだけで嫌われてしまう。
となると、後者は、おばさんのことにもいい印象を持てなくなる。
誰も自分のことを快く思っていない人間に好印象は持てない。
あのおばさんは自分を嫌っているんじゃないか? いつも嫌な目で僕を見てくる…と。
そうなると身構えるし、緊張するし、ますます言葉をかけづらくなり、笑顔もできない。
強張った表情がおばさんにもっと不快な印象を決定づける…。
こうして地滑り的に関係は悪化する。
近所のおばさんを例にしたけれど、職場の上司に置き換えたら、上司はパワハラをしてくるようになるかもしれない。
職場で疎外されると、人生全部が灰色に変わってしまう怖さがある。
こうやって、ますます心殻に閉じこもりかねない羽目になっていく。
前者は、悪いことばっかりしているのに、潤滑油をうまく流して、悩みもなく生きていける。
拾えるのは自由と自信と喜びだ。
その不条理・矛盾こそが人生かもしれないが、後者にとってはたまったものではない。
こんなことが続けば、人間関係で悩まない方がおかしいくらいだ。
潤滑油を流さないばっかりに、どろどろした鬱屈した抑圧が心を覆う。
人間関係での要領の良さ
出世する人間も、多かれ少なかれ前者のような要領の良さを持っている。
損をする人間が、なぜさらに損をしてしまうのか、そこに理由があるかもしれない。
今までの人生を、人間関係を中心に振り返ってみよう。
自分に何が足りなかったのか、そこに答えがあったりする。 表面の挨拶・会釈などのジャブが潤滑油となって、人間関係の摩擦を減らす。
人と仲良くしたいと常に悩みにとらわれている人は、潤滑油・ジャブの必要性を忘れてしまっている。
潤滑油を流すから疎外されないし、軽い会話のジャブが効いているから大事にされるんだ。
後者は人が嫌いになり、また疎外され、周囲から浮いたり、評価が低いまま、ますます生きることすらきつくなる。
その差だけで人生の善し悪しが大きく左右される。
人間の評価は、この部分だけでだいぶ決まってしまう厳しい現実、怖い事実があることを認識しておくべき。
だからこそ、潤滑油が人間関係においてものすごく重要だということも。
対人スキルを向上させるベースに必要な要素だと言えるでしょう。
他人との距離
もう一つ、人は自分に深入りして欲しくないという頭がある。
深入りしたくないし、されたくもない。
貴方も、粘着質的なネトネトした重いオーラを発して、自分のテリトリーを犯してくる人には警戒すると思うし、うざいと思うかもしれない。
潤滑油がないと、そんな印象を持たれてしまうんだ。
でも、人間関係では距離を縮めることは大事だし、仲良くはしたいし、感情の共有はしたいし、干されたくない。
そこが重要となってくる。
なんて矛盾した錯誤的な考えなんだろう。
まさに自分勝手、エゴの固まりだ(笑)
人間関係でなかなかうまくいかない人(後者のような人)は、みんな仲良くやっているから、相当みんな互いのテリトリーに深入りして、すごくうまくやっているんだろうと思うかもしれない。
深入りを避けたいと思うのに、でも嫌われたくない。
あまりにも孤立して寂しい思いをする、もしくはしていると、みんな深くやっていると錯覚を起こしてしまう。
だから、他人とうまく喋る、きれいにやっていこうとするために、「どう喋ろうか」「どうやってきれい巧みに会話して、距離を縮めるか」ばっかり考えてしまう。
対人緊張もあがり症の人も、その悪循環の思考回路にはまりやすい。
嫌われたくない、悪印象を持たれたくない、そのためにもっと深くなるために頑張ってしまう。
自分が深入りされたくない思っているのに、深入りしてうまくやりたいという思考回路がある。
うまくやっていける人は人間関係の流れがとてもいい。
流れがいいから深くやっている、とどうしても思ってしまうかもしれないが、潤滑油だけを流している(ジャブの会話だけをしている)だけが実態といっていい。
自分は相手と深くなれないからといって自信喪失したり、焦ったりする必要はないから安心しよう。
私(岩波)も至る所で潤滑油や軽いジャブをしているから、どこにいってもみんなが良くしてくれる。
何も大げさなこともすばらしいこともしていないし、気の利いたことも言っていない。
深入りをするということは、その人とうまくいかなくなったとき、その友達とまでうまくいかなくなることを意味する。
深入りしている人、距離を縮めようとする人は、当然人間関係がきれいに流れない。
一度おかしくなってしまうと、他にも波及していってしまう。
深入りを望むことは人間関係がうまく流れない原因の大きな部分を占める。
きれいに人間関係の海をスイスイ泳げる人は、実は深入りしているようで深入りしていない。
深入りせず潤滑油を流している。
別段うまい人はすごいことをしているわけではないんだ。
後者は「深入りしていけばうまくやれる」「そのためにどう喋ろう、何を喋ろう、うまくいかなかったらおかしいから、うまく場を持たせよう」とする。
「こんなこと言ったら笑われはしまいか、変に思われるかも知れない」と理性をフルに使ってクタクタに疲れ果ててしまう。
あれだけ気力と知恵を絞り出したのにもかかわらずだ。
予行演習を組み立てていたのに、パソコンのCPUを100%稼働させるように頭をフルに使ってうまくやろうとしたのに、結果は芳しくない。
これでは迷うだけだし、自信を喪失してしまうのは当たり前。
今まで頑張った分だけ心がすり切れて、もっと人間関係が苦手になるし、焦燥感、苛立ち、抑うつ状態に入る。
他方は、潤滑油をちょっと振りまいて、人といい流れでうまくいく。
深入りしないから、逆に人間関係がいい方向に深入りしていっていく。
後者は深入りしようとして深入りできない。
そもそも考え方がずれていたり、歪んでしまったり、間違えているかもしれない。
流れがあれば、どんな方向にも持って行ける。人生を渡りやすくなる。
人間関係は軽くても大丈夫。
その軽さ、流れの中から深まっていけばいいだけだ。
浅いからこそ深まり、深まろうとするから浅くなる、それが人間関係だ。
まとめると、 一方は「うまくいかなくちゃいけない、嫌われたくない、よく思われたい」
あっちは「嫌われてもどうでもいい。それがなんだ、俺は俺だ」というものを持っている。
でも摩擦を避ける潤滑油だけはちゃんと流している。
一方は「こうあるべきだ、こんなものだ、こう思われたい、こんな風に見たい、見られたい」
でも潤滑油は流せない。
変に方向に、しかも人間関係の設定を難しくしているから、うまくいかないで逆にギクシャクしてしまう。
どんなに頭が良くても、誰かがそばで仲良く喋っていると、疎外感を感じ、頭の良さが吹っ飛んでしまう、真っ白になる。
うちに秘めた価値が発揮できず埋もれていく。
これは不条理だが、現実でもあるんだ。
対人関係の向上
だからこそ、人間関係のうまく流れる秘訣・コツ・技術を理性ではなく、感覚として使えるように身につける必要が出てきます。
この攻略が武器として身につけるためにまず必要となるでしょう。
対人スキルの向上にはたくさんの技術やノウハウがありますが、あまり力を入れすぎない(知恵を働かせすぎない)ということもコツです。
一線を画した希望が芽生えるコミュニケーションや会話術(会話の格闘術)、心理・脳内プログラムでもありますので、ぜひ参加し、劇的に対人スキルを上げていきましょう。
多くの人がこれを実践して、自信を持って生きられるようになっています。
仕事でも何でも、人間関係が良好になるだけで、風通しがよくなり、あらゆる面で好転する、それぐらい人間関係は、この社会の中で大きな部分を占めています。
かといって、人によく思われよう、好かれよう、嫌われないようにしようという設定で行ったら、潤滑油すら流せなくなります。
そこらへんの微妙なバランスも含めて、学んでいってください。
※ この文章に当てはまる方は、こちらのプログラムが効果的です(同一コースで、何個でも同時に受けられます)
(対人不安、社会不安障害の方)
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発言者:岩波英知 1946年栃木県生まれ 東京と大阪で世界最先端の独自の脳内プログラムを開催。 誰ももたらすことができない決定的な脳内体感を体験した多くの有名人や芸能人、医師や経営者にファンが多い 。 自著(奇跡の脳覚醒)より抜粋 脳の魔術師、鬼才と呼ばれる心理脳内コンサルタント。 若い頃より人間の計り知れない可能性に興味を持ち、脳に関する独自の研究を行う。 そして、誰も到達できない脳覚醒技術の開発に至る。 その技とノウハウは世界一と称されており、岩波の脳覚醒セッションには、その凄さと評判を聞きつけたクライアントが世界中から駆けつけている。 また、その技術のみならず、岩波の言葉は多くの人に大きな刺激を影響を与えている。 |
執筆者・編集者:Dream Art Laboratory 担当スタッフ |