真の完璧主義・完全主義者
「完全主義」は人生を滅ぼしかねない。では本当の完全主義とは?
いわゆる完璧主義や完全主義者というものは、抜け出せない心の悩みの泥沼を引き寄せる。
完璧完全主義は何かを大きなことを成し遂げるために必要だと思うかもしれない。
でも完全主義や完璧というものへのとらえ方を間違えると、人生が破綻してしまうほど大きな障害となりうる。
完璧完全主義は何かを成し遂げるどころか、何もできない自分に変えてしまう。
うつ病や不安障害になる人の多くが完全主義
うつ病や抑うつ状態に陥る人の多くが完璧主義者だ。
これほど努力が無駄になる完璧主義とは何なのか?
毒になる完璧完全主義には何があるかというと「完璧にいかせないといけない」という幼児期からの刷り込みがある。
それが強迫観念化してしまうと、完璧に全然行かない人生になっていく。
親の偏った愛だったり、愛情不足だったり、厳しい教育理念だったり、執着や過干渉だったり、さまざまな要因で、完璧完全主義の毒が生まれる。
建設的な感情から生まれていないと、何かを成し遂げるための原動力で「完璧主義」は使えない。
完璧主義ゆえの成功が一つあったとしても、多くが中途半端に終わり、ますます完璧主義に追い打ちをかけられ、その狭間で苦しむ。
完璧主義だから成果を挙げられたのも事実、だがこの先はどうか?
たしかに完璧完全主義者は誰よりも頑張れる性質を持っているし、今まで頑張ってきた。
それは本当に素晴らしいことだ。
普通の人がたどり着かない資格や地位や学歴を手に入れてきた。
ある意味じゃ、ぐうたらで何にも頑張れず、世の中に不平不満を垂らすだけの人間にはない長所でもある。
でも、人よりも頑張った、勉強できた、運動ができたといっても、感情的に栄養になったかというと、そうじゃない人が多い。
完璧や完全を求め続けた先と挫折(=更なる失敗への恐怖感)はほとんどイコールと言っていい。
完璧にいくことなんか、人生においてほぼない。
無いからこそ先に進もうとするのが人生を走っている人だ。
完璧に行かない時、不安と焦りの感情にエネルギーを吸い取られる時期が来る
一方で、うつ病などの悩みのドツボにはまる人は、完璧にいかせようとして身動きが取れなくなる。
失敗や挫折が怖いから、どんどん行動を先延ばしにする。
一生懸命努力しても、完璧にいかないから、達成感や充実感を得られない。
次からは様々な精神的なマイナスが押し寄せてきて、どんどん完璧から遠ざかる。
完璧に行かなかったら「もう終わりだ、自分はダメだ・・・」と思ってしまう。
どんなに頑張っても完璧にいかないし、完璧になるまで行動を控えていても結局潰れる。
完璧主義は、動いても、その場で立ち止まっても、どのみち充実感は得られない。
人生も世の中も完璧も完全もない。うまくいかないのが当たり前だからこそ頑張れる
その場合、本当の「完璧」という概念へのコペルニクス的発想の転換が必要になる。
そもそも完璧に行かないことが常だし、当たり前。
完全にいったからってたいしたことじゃない。
完璧にいかなくても、とにかくやることで、自分や現状を把握する。
成功、失敗だろうと「おお、自分は今はこれぐらいだな」と楽にとらえる頭があるから先にどんどん続けられる。
次に進む目標ができるし、より「完璧」に「完璧主義者」よりも近づける。
完璧ってそんなものと捉えた方がいい。
例え10回失敗したとしても、挽回すればいい。
結果的に先に進んでいたらいい。
計算通りいかなくてもそれがなんなんだ
完璧完全主義者が完璧に行かない時、それはつまり挫折の時だ。
計算通り行かないと落ち込んで、もう挽回できないと思うけれど、そうじゃないんだ。
社会のトップを行っている人、大成功している人は、もちろん色んな努力をしてきている。
努力は最低限何にでも必要だし、それがないと始まらない。
でも完璧完全主義の努力と比べると、はるかに生産的なものだ。
色んな事や失敗、挫折があって、「これでもか、また今度もか」と不完全な結果を飛び越えていっている。
たくさんジレンマを乗り越え、たくさん不完全を当然だと思いながら、それでも走って結果を出している。
そういう人は本当に逞しい。一種のリスクと失敗への覚悟を持っている。
完璧主義者の努力や負荷は、どこまでいっても自分の精神に非健康的な結果をもたらす。
生産的に走っている人と同じ量の努力や負荷を自分に課すなら、今言った方向で突き進んだ方がはるかに健康的だし、希望に満ちている。
成功者も途中で挫折してしまった人、どちらも挫折を経験している
一方はたくましく気持ちが乗っていく、もう一方はうつ病になり、自信喪失と自己不信へのスパイラルに陥っていき、心が折れやすくなっている。
何度も言うけど、完璧なことを考えて出来なくても、そんなこと当たり前。
騒ぐことじゃない。
完璧なんかあり得ない、どう行くかわからない、そもそも世の中すべて不完全なものなんだ、と。
不安があって大変なことがあって、安全もなくて、いつもリスクがあって、そんな中で怪我をしながら走ってつかんだものが本当の「完璧」だ。
もし完璧があるとしたら、そこにしかない。
完全完璧にやってやろう、絶対失敗しないようにと思っても、絶対完璧には達せない。
なぜかというと、所詮、完全にいっても、完璧にいくことがその人の中では「当たり前でありきたり」だから。
充実感とはほど遠く、どこかむなしさを感じる完璧達成になりやすい。
次は完璧に行くだろうか? 完璧にやらなくちゃ行けない、ダメだったらどうしよう…この繰り返しをやってしまう。
完璧にやりたいのは失敗を恐れる心から
さらに悪いことに、失敗のリスクを飛躍的に高めてしまう。
「完璧にやりたい」と「失敗は許されない」は表裏一体だ。
思いが強いほど、失敗した時の反動はとんでもない。
心を折られる、自信もなくなる、次の失敗が怖くなる、追い詰められる、焦る、完璧じゃない精神状態で望むからもっと失敗するリスクが高まる……この負のスパイラルに入っていく。
抑うつ状態がひどくなるのも当たり前だし、ますます身動きが取れなくなって生きづらくなるのも当然だ。
強迫観念的完璧主義は不幸をもたらす
そもそも完璧にやりたいのは、そんな結果を出す自分に満足感を得たいからであるはずだし、幸せになるためだ。
そんな感情に至るために完璧を尽くそうとするわけだけど、いつの間にか、悪い感情だけを引き寄せていないだろうか?
そして、何か強迫観念に突き動かされて、完璧を目指していないだろうか?
そこに脳と心の余裕と枠があるだろうか?
もしそこで間違えてしまうと、やることなすこと、完璧を目指して、誰よりも不完全な結果に終わることを繰り返し、しまいには心を病んでいって、頑張る意味すら失ってしまう苦境に陥るだろう。
途中経過で失敗や挫折があっても「それがどうした?」
それなら「私には失敗も挫折も当たり前」というリスクを受け入れた方が、はるかにリスクはない。
ありきたりのこと、やって当たり前のことに感動なんかしない。面白くもない。
価値観としてはたいしてないんだ。
完璧にやっても当たり前、完璧じゃなかったら、ただの挫折。
常に失敗のリスクに打ち震える。
過度に緊張して生きる羽目になる。
まるで人生を素人の綱渡りのような状態にしてしまっている。
傷つくことを恐れるな。傷つき怪我をして本当の完璧に近づく
完璧にいかせたい人は、誰よりも傷つくことが怖い。
その特性ゆえ、より一層、不安もリスクもない状態、誰からも非難されない完璧な状態にしたいと考える。
でも、結果は傷つき、不安をおびき寄せただけかもしれない。
それは親の教育や色々な流れがあって生じてしまっているからしょうがないことだけど、今まで見返りがあったかというと無かった方が多いと思う。
結果が出ることにものすごく恐怖になるから、行動もストップする。
少なくとも動かなきゃ、完璧にいかないことに悩まないと思うから。
でも、人と比較すると落ち込む。
完璧主義者なのに完璧をまだ成し遂げていないし、他の人はその間に着実に点数を重ねているように思ってしまう。
完璧完全主義者のほうが、ものすごく不完全に近づく矛盾もある。
本来ならパワーになっていいはずの完璧完全主義という特性を毒にしか使えなくなって、負のスパイラルにはまる。
計算通りいかないことを計算にして走れ!
世の中や人生は、不完全で計算通りに行かなくて、いつも不安で恐怖が存在している。
それでも目標を走っていって、更にリスクがあったとしても、生きることが人生の大切で必要なこと。
それを決心して走ること。そこに大きな意義がある。
遠回りで一番大変だと思うかもしれないけれど、本当は一番の近道。
リスクを回避して、完璧にいかせようと考えて、「失敗した、どうしよう」となっていたんじゃ、更なるリスクと地獄しか待っていない。
完璧主義よりも遥かに大きな物事を成し遂げるパワー
そうなると「何があってもいい、どんな状況でもいい、うまくいく法則なんか何にもない」ことに尽きる。
挑戦して「これくらい、つかんでやりたいんだ!」という気持の方がはるかに、完璧主義よりも価値が大きい。
「絶対、夢をつかんでやるぞ!」という動機で、一応夢達成への裏付けをとりながら走っていく。
そこにイバラの道があろうがかまわない。
「それもまた人生や世の中の不完全さゆえ」と設定して乗り越えていくことが大切。
今までも大変だったし、挫折とか、これ以上の苦しみはなかったはず。
でも、ずっと同じことを繰り返してやっていたんじゃ、いつまでも負の連鎖は終わらない。
それならば、上に言ったことをやっていけば、今よりも絶対苦しまないし、それどころか楽になる。
一見地獄かと思うかもしれないけれど、このままいったときの苦しさと比べたら、全然どうってことない。
完璧や完全への概念を転換させろ
そもそも完璧完全主義は頑張れる人の証だ。
もうそれを証明したんだから、完璧の概念を変える。
むしろこのまま完璧主義でいくと、自分の想像の中で恐怖感をかき立てるだけ。
うつ病になる人や悩みのドツボにはまる人は、「もうダメだ、これで絶望だ!」「終わりだ……」とか、短絡的に決め込んでしまう。
結局、そこから抜け出すための精神状態は「だから何なんだ」というコアから発する思考だ。
何かあった時に「だから、それが何?」と「終わりだ! 完璧行かなかったから……」の人じゃ、その先は全然違う。
その差はベースの「完璧にやらなくてもいい、世の中うまくいかない、計算通りいかない」
「そんなもの常識だ。だから何なんだ!」「いろんな事が起きようが自分の目標に結果をもっていくぞ! それが本当の完璧だ」にある。
同じ完璧へのとらえ方で、未来に大きく差が出てしまう。
貴方の人生に完璧はない、安心もない、何にもない。だからこそ考え方を変えろ
何をやるにしても、そこには時代背景、社会の動き、色んなものがあって、完全はない。
株など経済状況一つとってもひどく流動的だ。
そこで走っていって、勝ち抜くためには不完全は当たり前、完璧もない、安心もないし、何にもない。
それを心に決めるから安心がどんどん寄ってくる。
安心や完璧を求め続けるのが悪循環にはまる人で、いつも不安で怯えて自信喪失で何もできなくなっている。
スタートの発想は完璧への概念やとらえ方を変えること。
完璧主義者にならざるを得なかったルーツの認識や処理、リスク概念、完璧主義概念への心の底からの気づきが大事。
それらが出来れば、完璧主義の呪縛から抜け出せます。
自分の厄介な足引っぱりはなくなります。
完璧完全主義を捨ててこそ「完璧」に誰よりも近づける。
これからも完璧にうまくやろうとして、すべてが良くないスパイラルにはまることを繰り返したいですか?
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発言者:岩波英知 1946年栃木県生まれ 東京と大阪で世界最先端の独自の脳内プログラムを開催。 誰ももたらすことができない決定的な脳内体感を体験した多くの有名人や芸能人、医師や経営者にファンが多い 。 自著(奇跡の脳覚醒)より抜粋 脳の魔術師、鬼才と呼ばれる心理脳内コンサルタント。 若い頃より人間の計り知れない可能性に興味を持ち、脳に関する独自の研究を行う。 そして、誰も到達できない脳覚醒技術の開発に至る。 その技とノウハウは世界一と称されており、岩波の脳覚醒セッションには、その凄さと評判を聞きつけたクライアントが世界中から駆けつけている。 また、その技術のみならず、岩波の言葉は多くの人に大きな刺激を影響を与えている。 |
執筆者・編集者:Dream Art Laboratory 担当スタッフ |