1 直感と第六感と脳覚醒
脳覚醒状態に入ると、感情・五感だけの人間の一番深い意識の世界に、自分の全存在を浸らせることができる。
第六感も覚醒状態に入る。
普段からどうしてもやってしまう理性世界における努力では、何十年続けても到達できない世界に、脳覚醒技術によっていとも簡単に入れる。
理性や雑念や小さな自意識や理屈といったものが、これっぽっちも入り込まない、研ぎ澄まされた究極に純粋な世界だ。
その時、「理」の世界など、どんなに努力しても先が見えている狭っ苦しい世界に感じられるだろう。
はっきり言って、理性の世界のみで生きていては、大きなことを成し得ることはできない。
世の中であるものを極めている人間は、例外なく感覚が研ぎ澄まされている。
考えるとかそういう次元ではない、ただ感じるだけの第六感、インスピレーションの世界がある。
いくら10000の量をアタマの表面で考えたとしても、結果は1にもならない。
それが現実だ。
しかし、1感じただけで(直感、インスピレーション)、10000の結果がもたらすことができる。
ビジネスでの成功でも人間関係構築でも偉大な創作でも悩み克服のためのルーツ整理にしてもそうだ。
感覚、それなくして大きなことを成し得ることなど不可能だ。
もし悩みを考えて解決しようとしたら、余計脳みそがこんがらがって、ますます悪循環のドツボに入る。
それは決して解けない、悩みという「知恵の輪」を余計こじらせてしまっているようなもの。
どんな手をつくしても解決が不可能。
しまいに頭に血が上って、知恵の輪を壊そうとしたところで、その難しさの前で途方に暮れるだけ。
その絶望感がさらに悩みを大きくする。
これは多くの人が経験しているだろう。
だが、悩みが解決しはじめる時、深い感覚の世界で様々な発見、気づきや悟りを得て、何か原因が見え、悪い感情が収縮していく、スーッと楽になっていく。
知恵の輪で言えば、スッと輪が解ける。
あれほど複雑にこんがらがり、どんなに考えても不可能に思えたことが、だ。
そこに理屈とか理性とかはない、ただ直感だけの世界で解決できる。
この脳覚醒技術の存在価値があるとすれば、ある一握りの選ばれし人が到達していた世界を、誰であっても見えることだと思います。
皆さん、それぞれの目的にぜひ利用してほしいと思います。
願わくば、この技術を高い位置で使い、生きた証を残し、心から存在していてよかったという思いに至ってくれれば、これ以上の幸せはありません。
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2 コミュニケーションという芸術
交渉でも日常会話でも恋愛ごとでもそうだけど、会話や話し方なんてものはあくまで添え物にすぎない。
最初から最後まで会話・話し方ありきで人と接してしまうと、せっかく頑張って喋ったとしても、相手の心はますます動かなくなってしまうもの。
なぜか?
うまく喋ろう、なんとかいい方向に持って行こうという気持ち自体が、相手の心を冷めさせてしまう空気を流してしまうからだ。
会話によって他者といい空気を作るのではなく、自分から発する空気(オーラ)が相手の心を揺さぶらせ、納得させ、自分というものを認めさせる事が大事。
そうなれば、どんな話でも相手は聞いてくれる。
けっして話し方がこなれているからでも、しっかりしているからではない。
そういう観点からだと、『会話・話し方』なんてものは副次的なんだ。
人は意図的にある目的に持って行かせようとする人間を、本能的に嫌ったり身構えたりする。
例えば『仲良くしたい』『嫌われたくない』『得したい』『お近づきになりたい』『利用したい』──。
こういうことすべてが、最高級の会話術を駆使したところで、結果は壊滅的なものとなる。
相手との距離を近づけるために「うまい会話術」を駆使しようすること(あるいは憧れること)自体、非常に非効率的でやってはいけないことをやっているようなものだ。
コミュニケーションや交渉事に、上手に話せたとかきれいに喋れているといった経過など関係ない。
あるのは心が動かせたかどうかの結果だけだ。
結局、人と人がコミュニケーションをとる時、人はその人の話を聞いているのではなく、その人自身の個性や考え方、人生、生き様、そういったすべてのものを感じたいわけだ。
会話や話し方を完璧にしたところで、上手な手から水がもれるように、己を隠し通せない。
いや逆に隠そうとすることを読まれて、距離を取られる。
己を隠そうとする人間の腹のうちは、結局小狡いものでしかないからだ。
そういう意味では会話上手、話し方上手に近道なんてない。
自分のコアからの強固な構築、変革、それしかないんだ。
だから会話に対する固定観念を捨てることが重要になってくる。
もしコミュニケーション術に芸術があるとしたら、総合芸術になるだろう。
会話や話し方の技術だけを獲得したところで、他の要素がなければただのガラクタになる。
今貴方の総合的な人間の度量が試されている。
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3 自分探しとアイデンティティ
子供本来の天真爛漫さや無邪気さを、その親が厳しく制限してしまうと、その子は罪悪感を感じる。
それが行き過ぎると、アイデンティティを失い、自分という存在が何なのかわからなくなっていく。
もちろん、ある程度のしつけは必要だ。
しかし、あまりに親の視野の狭い「こうあらねばならない」考えを、子供の心を無視して押し付けると、子供は病みやすくなる。
遊ぶことは罪、楽しむこともダメ、自分を制限して生きねばならない、自分の心を押さえつけて我慢して生きる、良い点数をとっても自己証明ができない、そういう考えになりやすい。
そうなると、つねに親の目を意識して生きる子供になり、天真爛漫さが消え失せ、誰よりも『大人』をやってしまう。
特に病んでいる子供ほど、『大人』を演じてしまう。
だから、一見周囲の大人は、いい子供として見なすけれど、子供自身は『ほんとうに自分がやりたいこと』と『それをしたときの罪の意識』の狭間で苦しむことになる。
自分をなくした人間は、どんな小さなことでも必要以上に悩む。
すべてにおいて余裕がなく、ギリギリで、そのくせ頑張ってしまうから余計症状をこじらせる。
一方、自分がある人間は強い。
同じ量の苦境に立ったとしても、いなせたり、うっちゃるだけの心の余裕がある。
自分があるかどうかで人生は決まる。
ない者は苦しみ、ある者は楽しむ。
人間の潜在意識・無意識は複雑怪奇だというけれど、非常に単純な構図なんだ。
自分を取り戻すためには、過去から心の中をすっかり洗い流さなければならない。
納得いかなかった感情の抑圧をすべて解放しなければ、いくら自分探しをしても見つかるわけがないと思う。
答えはすべて外にではなく、貴方の内側、そして過去の中にあるんだ。
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4 私の脳覚醒技術について
常識を捨てて受けに来て欲しいと思っています。
今までの固定観念は一切捨てて、まっさらな気持ちで来て下さい。
脳について、潜在意識や無意識について、理性・感情・感覚について、人間という生きものについて、それまで社会で日常で培ってきた知識や経験をここでは大きく飛び越えてしまうからです。
私の脳覚醒技術が潜在意識とか無意識に働きかけると言っているけれど、単にわかりやすい説明のために使っているだけの話です。
一番大切なことは、実際にできるか否かということ。
それも強烈に深く心のコアに浸透させることが出来るか、
ずっと消えないものとして刻みこむことが出来るか、ということ。
今世の中には、強く思えば潜在意識アクセスが叶うとか、無意識をコントロールできるとか、瞑想や催眠によって深層心理の扉を開かせることが可能という宣伝文句が踊っているけれど、あくまで可能性提示をしてくれているに過ぎません。
その中には無責任な夢を見させるものも少なくないでしょう。
私の脳覚醒技術ほど強烈な実体感はないと自信を持って言えますし、それは他でたくさんの経験と知識を得て通ってきた人が、一番思い知っているはずです。
世の一般が、せいぜい棒高跳びをしている世界だとしたら、一気に宇宙空間に突き抜けたくらいのギャップが有ると言っていいでしょう。
それだけに潜在意識のプロと自認する人ですら常識をはるかに超えた世界で、まるで狐に化かされた感覚になったりします。
まあそういう人ほど、それまで追求してきたことがあるだけにショック以上に感動が大きかったりするのですが。
ましてや何の知識も経験もない人は、最初は衝撃だしショックを受ける人もいます。
自分が今感じていることが信じられないし、人のことをみても嘘だろう、サクラに違いないと思うけれど、それも当たり前でしょう。
何しろ一般の常識からはもちろん、その道の専門家が導ける世界をはるかに超えた尋常じゃない世界なのだから。
ここでは普通じゃないことが実際に起きるし、人間の情動や本能、生命としてのすごさ、神秘性みたいなものを生で実感できる。
かといって、スピリチュアルのように霞がかかった世界でもない。
脳覚醒状態の時に得られる悟り的気づきという、しっかりとした自分の中での真実をガッチリとつかめるようになる。
あるいは抑圧でがんじがらめになってきた人は、それまでの人生の総決算が実際に可能になり、必死で無意識に抑圧してきたものが、どれほどまずいものだったか、やばいものであったか、どれけ自分の人生に悪影響を与えてきたか、実感として掴め、解放させていくことができます。
他から見ると、最初信じられない思いを抱えていた人が嘘のように見える『ミイラ取りがミイラ』状態になっていきます。
世界中のどんな人間であっても、大変なインパクトを受けるだろうこの脳覚醒技術は現在も進化し続けています。
本物を追求している人ならば、これ以上ない夢の技術だと感動してくれることに私は自信を持っています。
人間の脳、人間の存在の素晴らしさ、生命のすごさと奥深さと神秘性、これらを体感したい人は、必ず期待以上の結果が出るでしょう。
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5 アダルトチルドレン連鎖断絶のために
負の精神的遺産は、先祖代々から当人、そして子や孫に伝わって行く。
そして負の遺産は、親が自分の子供に伝えたくて伝えているわけでもない。
親自身も嫌で逃げ出したいものであったはずだし、相当抑圧を抱えてここまで来たはずだ。
アダルトチルドレンであったかもしれない。
しかし、その環境下で生きてきたため、それしか自分の子供に伝える術がないし、別の方法があるなんて思いもよらない。
聡い親ならば本を読んで、理想の子育て論を知識として蓄えるけれど、いざ伝えるとなると伝え方を実感として持てない。
また心に余裕がない状態で育ったため、親から受けた仕打ちとは逆に針が触れすぎて、別の面で愛情という名の歪んだしつけを我が子にしてしまう。
ここで大事なことは、アダルトチルドレンとして今生きづらいものを抱えているとしても、親にいくら不平不満を言っても、親が否を認めたとしても、それまで蓄積された「親の呪い」「先祖代々の呪い」にかかった自分の無意識までは解消できないということだ。
そして、それに苦しめられながらも、いざ自分が親になると、我が子に「呪い」を与えてしまう恐ろしい流れに入る。
本当に無意識とは怖いものだし、それこそ人間の永遠のテーマかもしれない。
が、結局のところ、自分がその代で解決しなくては未来がないことは誰よりも、その当人が知っている。
自分の子供に、あるいは未来に生まれてくる我が子に負の遺産を受け継がさないためにも。
私もそういう「呪い」を背負ってきた人間だ。
親と縁を切ろうが、無意識に巣食った呪いは一生生きづらさを演出してしまうことをよく知っている。
どこに逃げても何かで気を紛らわせても、残酷な結果に終わる。
今は克服しすっかり消化できたが、若い頃は非常に苦しめられてきた。
いかに自分の心がどうにもならないか、普通をやっていたら一生そのまま行ってしまうことの恐ろしさを学んだ。
だからこそ、普通じゃない脳内・無意識訴求技術を開発する原動力になったのだけど。
だからこそ、心の抑圧を根こそぎ処理しないといけない、解放させて消化しないといけないと強く言いたい。
過去の事実(親からの精神的抑圧など)は事実として存在するが、そこに何の抑圧エネルギーが乗らない自分にならなくてはいけない。
自分の心の深淵にある、親から受け継いでしまった負の遺産は、知識だけでうっちゃれるものではない。
今先祖代々の「呪い」を現在断ち切ることは、今生きる自分自身の幸せに直結するし、何よりこれから成長していく子供のためにも必要なことだと、私自身の経験から強く思う。
抑圧浄化の手伝いを強力にできます。
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