人間心理・行動と脳内の法則
1.出来が良すぎる人生の矛盾 | 2.見返りを求める |
3.コンプレックスについて | 4.発想の位置の大転換 |
5.リスクと覚悟と人の眼 | 6.知恵の使いすぎの顛末 |
7.真の効率のよい脳みそ | 8.実は誰もが怯えている |
9.己だけは騙せない | 10.どんどんケガをしろ |
11.常識の幻想 | 12.ハッピーエンド |
13.依怙贔屓をする神 | 14.中途半端な頭の良さ |
15.脳の本質は不確か、そして奥が深い | 16.努力の垂れ流しと真の努力 |
17.理性に感動させる力はない | 18.プライドは武器になるか? |
19.綺麗な生き方をするには | 20.強い人間・弱い人間の差 |
21.格好が良い、格好が悪い | 22.どちらの道が不安か? |
23.理性の奴隷になったら人生は摘む | 24.できの良い生き方、最悪な人生 |
25.孤独な女性の男運 | |
1 出来が良すぎる人生の矛盾 【人間心理・行動と脳内の法則】
自信を持っている人、悩みと無縁の人→人間的に出来の悪い人。
人の気持ちは大切だ、仲良くやっていきたいと思う人→頭は賢いけれど動きが止まる、悩みが忍び寄ってきやすい、とらわれやすい人。
うまくやりたい、よく思われたいと考えている人間を、人は好まないもの。
気づかう人は逆に、人間関係の流れを重くしてしまう、それも人は嫌う。
それは親などの「こうあるべき」「人様によく思われなくてはいけない」「迷惑をかけてはいけない」という固い教育でそうなってしまう。
ある程度の自己中がよい。
自己中をやったら、人から嫌われると悩む人は思ってしまう。でも全然違うものなんだ。
本能に近い人間を人は好む性質がある。
過度のあらたまりがあると人は嫌う。
今までの生き方はどちらでしたか?
2 見返りを求める 【人間心理・行動と脳内の法則】
トランス呼吸法でも人間関係でも何でもそうだけど、悩みがある、悩みを解決するために何かやろうとする。
たとえば呼吸法をやるとか。
結果を出すために呼吸法をやるんだけど、見返りばっかり求めてしまうと、それが邪魔して、雑念に変わる。
そうすると、呼吸法の密度が悪くなる。
好きな女の子と、何とかうまく価値をつくりたいなと思った人に大体縁がなくて、何とも思っていない人に好かれたりする。
好みじゃないと思っている人に好感をもたれたりする。
人間関係にはそういう面白い歯車がある。
呼吸法もそういうところがある。見返り求めない方がいい。
異性も「もういいや」と思えた時に逆に縁がある。
何とかしたいと思った時ほどドツボにはまる。
もちろん異性との接点がなければ話にならないけれど。
流れが逆。
トランス呼吸法一つとっても、現実社会と密接にリンクしているし、人間心理はどこにいっても同じことが適用される。
3 コンプレックスについて 【人間心理・行動と脳内の法則】
「だめだな、うまくいくかな」「笑われないかな」「低く見られないかな」ばっかりで心が呑まれていると精神的ハンデができ、執着したものにコンプレックスができる。
例えば頭髪が薄いことがコンプレックスの塊にしている人がいるとする。
一方、禿げていても「だから何なんだ」とコンプレックスを持たない人間もいる。
後者の人間を見ても、その人が頭髪が薄いとかどうかなんて、どうでもよく思える。
その人の価値を全く減らしていない。
逆にその姿勢と思考がかっこよく思わせてしまう。
凄く自信を持って生きている人、異性なんかどうでもいい、生き様だけあればいいという生き方をしている人間は、頭が薄かろうが、その生き様でオーラが出ている。
結果的に異性にも好まれる。
それはため息一つでも前者と違う。
何かいいオーラがある。
自分のコンプレックスに注目して欲しくないとビクビクなっていると、ひどく損をする。
余計そのコンプレックスだけを自分でアピールしてしまい、「私はそこに劣等感がありますよ、注目してください」と言っているようなもの。
他のいいところを見てもらえなくなる矛盾もある。
誰だってもともとコンプレックスのない人間なんかいない。
その後、コンプレックスに呑まれるか「だから何?」になるかの差で大きく結果が違ってくる。
人生はちょっとした考え方、認知の方向性で、良い方向にも悪い方向にも変わるんだ。
4 発想の位置の大転換 【人間心理・行動と脳内の法則】
発想の位置を変えてみる。
「どう見られるか、どう思われるか」ではなく、「人をどう口説くか、人に自分の思いをどう伝えるか」だ。
悪い奴で、全然緊張しない奴なんかは「人をどう騙すか」にばかりに発想の位置をおいている。
見られる・思われるベクトルなんか入り込む余地がないから、悪い緊張とかアガリとは無縁だ。
しかも、なぜか成功している奴が多い。
脳みそが足りなさそうなチンピラのくせに、だ。
例えは悪かったけれど、極端に逆の位置を示した方が話が早い。
一度、自分がどういう発想の位置で生きてきたのかを分析して、効率が悪いと思ったら、発想の転換をしていくべき。
私(岩波先生)は人よりも発想の位置が違うし(先に挙げた悪い例:騙すとかそういう意味じゃない)、少なくとも悩んでしまう考え方をしていないから、教えることができる。
従来の考え方がまずい、転換したいと思ったら、力になれることが多いと思います。
人の未来は簡単に読めたりするけれど、それは現在の思考を使っていたら、将来どんな生き方になるかわかるからです。
だからこそ、その未来予想を外すためにも、逆転の発想をしてください。
押してダメなら引いてみろ、引いてダメなら蹴ってみろだ。
5 リスクと覚悟と人の眼 【人間心理・行動と脳内の法則】
何で人の眼を気にするか? それはプライド、見栄からくる。
周りの目に対しての自分の目から発症する。
自分主体で生き、それが徹底されると関係なくなる。
そこまでしないとダメ。
「あいつ、おかしいよな」「変わっているよな」と思われたら嫌だ、お終いだと思うまずい部分があると、ますますとらわれが強くなる。
それすら背負うこと、つまりそれはリスクだから、リスクを背負う話に通じる。
いつまでも背負えない人間は、一生「人にどう思われた、どうしよう…」を繰り返し、未来の可能性が狭まっていく。
逆にリスクを選ぶ生き方ができた時、お金を出しても買えない強さと自信をダイレクトに獲得できる。
どんな小さな行動にもリスクはついて回る。
生きていくということは、どんな局面でも色々な覚悟の積み重ねしかない。
覚悟は情動と密接に結びついている。
情動にダイレクトに暗示を入れることができるから、期待をして欲しい。
6 知恵の使いすぎの顛末 【人間心理・行動と脳内の法則】
人間は何も考えないで生きられると快適に暮らせる。
頭をフルに使って考えるから、「この次はどうしよう、こうなったらどうしよう、このときはああしよう」となる。
もうやることなすこと多すぎて、頭がオーバーヒートする。
頭を使いすぎると、逆に脳の働きが鈍って、能力が発揮できない。
考えて対策をとった見返りがあるかというと、不安を引き寄せただけ。
行動力もそがれ、「どうしよう・・・ああなったら、こうなったら・・・・」ばかりになる。
その対策のためにますますオーバーヒートした頭をフル回転しようとする。
ますます使い物にならなくなり、辛酸だけを舐めるようになる。
普段難しいことを考えない人は、いざというとき脳をフルに働かせることができる。
7 真の効率のよい脳みそ 【人間心理・行動と脳内の法則】
本当の意味で、頭や脳の働きを効率良くしたい時、効率良くしようとする知恵を使って、元を取ろうとすると失敗する。
得をしよう、見返りを求めようとして、知恵をフルに使うと、複雑化させてしまい、くどくなる。
そして割り切りがつかなくなり、疲労困憊に達する。
続ければ続けるほど、効率の良さとかけはなれた結果に陥る。
割り切りのつかない脳みそほど、役に立たずにストレスがたまるものはない。
そして、せっかくの頭の良さが活かされず、埋没していってしまう。
せっかく生きているのに、持ちうる能力を発揮できないなんて、これほど悔しいことはない。
そういう意味では、脳の使い方も呼吸法もなんでもそうだけど、無駄をも甘受する心構えでやった方が、真の効率の良さに通じる。
目的地に行くのに、飛行機か船かの違いぐらいある。
下手すると前者の方法だと、経由地に達するどころか、一生同じ「思い悩みの土地」「停滞とグダグダの海」を彷徨することになる。
8 実は誰もが怯えている 【人間心理・行動と脳内の法則】
人がたくさん集まると、攻撃したりいじめてくる人間が必ず出てくる。
しかし、そういう人間ほど、実は怯えて生きている奴なんだ。
それを教えてくれる人がいないと、「攻撃してくる人・威圧的な人=怖い、かなわない」と思って萎縮してしまう。
それに似た人間を見ると、心の傷から緊張感が極度に先走り、勝手に毛負わされて萎縮してしまう。
実は誰だって不安を感じ、怯えながら生きているんだ。
それを人に見せないために、演技して虚飾をつけ、強がって生きようとする。
攻撃すれば、人から攻撃されないから、攻撃する。
本当に自信がある人は、人なんか攻撃しないし、どうでもいいと思っている。
いざという時のために、いつも自然体でいるものなんだ。
せこい人間ほど、パワハラしたりいじめてくる。
そんな奴らを大きく感じることはない。
矮小な卑しい人間で弱い存在という証明をしてくれている。
9 己だけは騙せない 【人間心理・行動と脳内の法則】
色々悩み対策をとって、うまく切り抜けようとすると、これがダメだったらまた考える、あれが難しくなったら別の方法を使ってまた考える。
そして、「どうかな、うまくいくかな」と常にチェックチェックの連続に陥る。
悩み一つ一つにあれこれ知恵を使って、その都度振り回されて、不安に駆られてるだけに終わる。
一時しのぎは日々生きるためにどうしても必要かもしれないけれど、いちいち小細工を一生していたのでは、一時しのぎだけの人生になる。
それどころか、年齢とともに一時しのぎすらおぼつかなくなる。
『悩み振り回された一生を送りました』という哀しい結末になりかねない。
どこかで一つのことだけでもいいから、知恵も状況判断も小細工も捨て、バカになって取り組むことをしないと、その悪循環の回路から脱出できない。
バカになろうと知恵を使ってしまう人がいる。そんなことはありえない。
単純に捉えてバカになって行動する。
思い切りも必要。勇気もいるだろう。
だけどグダグダやって今の苦境ならば、「もういい!!」という反動をバネにして取り組んでみてもいい。
はっきり言えば、悩んでしまったらその優秀な知恵もすべてがマイナスに作用する。
一時しのぎは所詮一時しのぎでしかない。
一時しのぎは、結局自分をうまく騙そうとする行為だ。
しかし、自分はなかなか騙せない。自分だけに一番手ごわい。
だから知恵を使って自分をどうにかすることは一番的が外れた行為なんだ。
自分を騙すにはバカになることしかない。
10 どんどんケガをしろ 【人間心理・行動と脳内の法則】
今日ケガをして、明日もケガをして、明後日もケガをする。
自分の籠の中から出てケガをする。
世の中を力強く生き抜くには「ケガはつきまとってもいい、俺の人生につきものだ、何十回ケガをしてもいい」という覚悟が必要になる。
ケガは俺の日常だという覚悟を脳に、情動に入れ込む。
「どうやったらケガをしないですむかな・・・・乗り越えられるかな」という心構えじゃいけない。
ますます「ケガしたかな、平気かな、どうかな」と、常にチェックしてしまう。
そればかりかちょっとしたかすり傷ですら、大ケガに感じて恐慌状態になる。
いつもかすり傷だらけの人は、そんなものにいちいち構っていない。いつの間にか傷は癒えている。
もう今までしたくないケガをしてきたんだからもう嫌だ、という気持はわかるけれど、それだとかすり傷でも大きなケガのように苦しみの元になる。
そして、したくもないケガばっかりに見舞われる。
ケガへの覚悟を持っている人は、意外なことにケガをしない。
受け身のケガほど治りは遅いし、ばい菌が入り込んで破傷風になる。
しかし主体性のあるケガは勲章にしかならない。
あらゆる生命の営みの栄養源になってくれる。
11 常識の幻想 【人間心理・行動と脳内の法則】
常識に縛られすぎればすぎるほど、人は快適に生きられなくなる。
私は常識に縛られていない、だから快適なんだと思っている。
常識に縛られて、もっと常識化しようとし、非常識になったらどうしようと思って生きたら、つねに何かに怯えることになる。
常識をやっていたら間違いはない、この考えこそが大間違いだ。
私は「非常識をやっていても、それが定番だ。みんなが非難しても、俺の定番を広めてやるぞ」と思って生きている。
常識なんて赤の他人が自分たちの都合で作ってきたもの。
それを親や教師がとても大切だから、と子供に教え込んだところで、しょせん他人のフンドシだ。
自分が常識と思っていることは本当に常識なのか、刷り込みなのではないか?
他人に振り回されて生きていると、時が経つほど心がボロボロになる。
常識なんてものは、時代によってころっと変わってしまう。
それに合わせようともがいていたのでは、受け身に終始し、自分がなくなり憂鬱の毎日になる。
常識を突き抜けて生きないと、生の実感という本当の喜びは味わえない。
所詮常識の枠内では、その枠の中の狭い感動しかない。
それはむなしさと同義かもしれない。
常識に飼い慣らされてはいけない。
人生はそこから突き抜けてこそだ。
12 ハッピーエンド 【人間心理・行動と脳内の法則】
ハッピーエンドを望む人に、それはやってこない。
ハッピーエンドにならないでいい、という覚悟を持って生きている人にこそやってくる。
なぜか?
人は守りに入ると急激にもろくなるからだ。
すべての行動・思考が自己防衛と逃避に走り、いかに損をしないか、得をとれるかばかりに執着してしまう。
これがまずい。
その人の脳力と器量を萎縮させてしまう。
知らず知らずのうちにそうなってしまう。
スポーツなんかがいい例だ。
いくら守っても守り切れない。
いくら逃げても逃げ切れるものじゃないのが人生だ。
13 依怙贔屓をする神 【人間心理・行動と脳内の法則】
神様や仏様はあんまり人間のことは見ていない。
いる、いないの真偽はともかく、特に悩んでいる人のことをまったく見ていない。
一番助けが必要な人ほど「神も仏もあるものか!」状態だ。
「これだけ私は悩んだんだんだから、救ってほしい」とどんなに願っても神仏には届かない。
どんなに品行方正に立派に真面目に道を外れず生きていても、神も仏も無慈悲なほど反応がない。
しかし、エゴをみたしている人間だけは、神様は見ている。
そんな人間は幸せに充実して生きているからだ。
つまり、デキの悪い生き方をしている方が神仏に救われている。
これって矛盾だし、無慈悲なことだ。
一般的に何にも悪いことをしていないのに、立派なすばらしい生き方や苦しみに耐える生き方をしているのに、そんな人ほど神様は見ていない。
神はいないのか? と嘆くより、神様に見てもらえる生き方をした方がいい。
そちらのほうがツキも出てくる。
自分に満足した人間ほど人を真に気遣える余裕が出てくる。
だから、結果的に立派な生き方ができる。
貴重な儚い一度だけの命、自分の命を燃えさせて生きている人と、命を削って生きている人、神仏は前者のほうが嬉しいに違いない。
「おお、あいつは自分に満足して生きているな、創ったかいがあった、もっといい思いをさせてやろう」と神仏にあるまじき、依怙贔屓までしてしまう。
まあ、それは冗談だけど、ツキのない人はツキの無さを自分で引き寄せてしまっている。
神を呪うほどに。
でも立ち止まってはもったいない。
ツキが回ってくる生き方や考え方に変えていく、それしかない。
とりあえず、自分を救ってくれるのは自分しかいない(私もそのための努力をします)
14 中途半端な頭の良さ 【人間心理・行動と脳内の法則】
頭が良い人が悩み、頭が悪い人は悩まなかったりする。
もう一つ言うと、小ずるいのは悩みを引き寄せやすく、大ずるい人間は悩まない。
つまり中途半端に頭がいいと悩む。
小細工する頭が働くからだ。
安全に安心にケガをしないで得を取ろうとしてしまう。
自動的に、器量を自分で制限してしまう。
そういう人に足りないのは、バカにいつでもなれる頭や確固とした生き様を持てば、頭の良さが全開できるし、それだけ器量が大きくなる。
頭のいい人なら世の中に沢山いる。
「頭がいい」それは長所だけど、それに頼って勝負しようとすると、いつの間にか自分の可能性を逆に制限してしまう。
世の中を頭の良さだけで渡っていけるものでもない。
頭の良さを捨てられる人が、真の意味で頭の切れるすごい人間になれる。
頭の良い人に足りないものは何なのだろう?
その答えに気づいたら、今よりももっと大きなたくましい人間になるはずです。
制限されている能力が異常に花開くことになるでしょう。
15 脳の本質は不確か、そして奥が深い 【人間心理・行動と脳内の法則】
脳の本質は不確かだ。
そんなものに、いくら脳の表面を使って理性で訴えかけても、脳は説得が効かない。
つまり馬の耳に念仏をとらえているわけだ。
脳の本質のプログラミング言語は、理性と知恵で構築された言語と違う。
脳に強く訴えかける(自分を変える)には、こちらの気持ちも、脳と同じ非理性的な状態・感覚になっていないといけない。
自分を変えるのは自分との対話だ。
他者と対話したいならば、理性と知恵を使って可能だ(相手の心に響かないものになるが)。
しかし自分との真の対話は、使う言語を間違うと、すべてが空虚な結果に終わる。
無駄な試みを今までしてしまってはいないだろうか。
16 努力の垂れ流しと真の努力 【人間心理・行動と脳内の法則】
何に必死になるべきか? の話。
大きな弱点を抱えていたり、高い壁を超えられない人は、文字通り必死で生きています。
そんな人が「私は訓練を必死にやってます!」と言っても、必死の方向性がかなり違っている場合があります。
頑張る行為、これはとても素晴らしいこと。
しかし、どの方向に頑張るかが大事だ。
頑張るだけなら、寒い中空き缶を拾い集めているホームレスの人だってやっています。
『頑張る力、必死さ』このエネルギーが浪費に終わってきたのならば、その方向で頑張っても自分をすり減らすだけです。
生きていて楽しくなくなり、抑うつ感、無力感、焦燥感、憎悪感、そして無感動、自分喪失へとつながってしまう。
訓練のことで言えば、雑念を排除することだけに必死になっていたら、それは本当の必死さではありません。
頑張っているけれど、実は頑張れていない、当ての外れたことばかりやっていることが、罠から抜けられない状態の人はよくあります。
見返りを求めてやっていたのに、出てきたのは、焦りだけ。
「でも必死に努力してやっているんですよ!」と言います。
たしかに必死さは認めますが、助かるための努力は誰もがやります。
やらざるを得ないといったほうがいいでしょう。
それこそ必死でやるしかない。
でも、それに見合った成果は上がらない、ヘタしたらさらに状況を悪くするのが、メンタル・トラブルの難しいところです。
もし本当の必死や努力を、ある一点で使えた時、ものすごい劇的な効果が得られます。
知恵で処理しようとしないこと、雑念・不安があっても、無駄になってもいいからやるという覚悟だけが、その答えになるでしょう。
それまで、ものすごく努力をして悩みを打ち消そうと頑張ってきた。
それはどんな成功者も及ばないほど、すごい努力だったことでしょう。
悩んでもがいている人のエネルギーを発電したら、地球上に原子力発電はまったくいらなくなるほどです。
しかし、いつまでも変わらない、悪化してしまうのは、努力とエネルギーの注入する方向が全く違っていただけ。
本当の努力は、努力感なき努力が理想です。
言い方を変えれば馬鹿になった時、狂いが感情に注ぎ込まれた時の努力です。
すぐに答えを求めようと知恵を振り絞り、状況判断して、少しでも効率的に、最高の結果を今すぐ求めようとすると、すぐに自分自身からしっぺ返しを喰らいます。
「答えなんかでなくてもいい、それがどうした、俺はただこれをやるだけだ」
この気持ちになった人は、答えがすぐに向こうからいつのまにか近づいていきます。
助かるための努力と、それを捨ててやる努力、この差は圧倒的な差となって出てくるでしょう。
後者は覚悟が備わっています。
これがすべての不可能を可能にします。
17 理性に感動させる力はない 【人間心理・行動と脳内の法則】
生きる上で理性は必要だけど、あまりに勝ると個性が無くなる。
理性には、人に感動も与える力もないし、自分も感動させられない。
度が過ぎると無個性になり、感情も沸き立たなくなる。
たしかに人と波風立たなくするために必要かもしれないが、自分を押し殺してまで使うものでもない。
その人が光るのは、その人の個性や感情、感覚、エゴが出た時だ。
人が人に感動するのは、理性や知恵のひけらかしではなく、その人の個性がポッと花開いた時だ。
18 プライドは武器になるか? 【人間心理・行動と脳内の法則】
プライドは厄介な代物だ。
プライドを持たないと生きてはいけないと思う人ほど、それを武器にしたがる。
しかし、プライドは自分を傷つけるばかりだ。
プライドは鎖鎌のようだ。
プライドを武器に世の中を渡ろうとする人は、プライドという名の鎌を振り回して、自分を傷つけている。
しかし、振り回している分、攻撃されにくい。
だから、ますます鎖鎌を振り回す。
そして、どんどん自分だけ心にダメージを受けていく。
実はプライドは武器でも何でもない。
ブランドの洋服を例にしよう。
いくらブランド品で着飾り、プライドを保とうとしても、そういう人ほど汚れて交換するものがなくなると焦りだす。
プライドを維持するものがなくなった時、急激に不安になる。ボロボロになる。
逆にプライドを捨てられる人間が、そういう洋服を着たら映える。
しかし、そういう者は、ブランドの服を別に着なくても映えている。
もちろんブランド品は、品質がいいものが多いし、汚い服を着るよりもいい。
とはいえ、プライドのためのプライドで着るものではない。
プライドって、人はそれを武器にしたがる。
そして、武器にした時から本人の実態が弱まっていく。
一番重要な本人の魅力が損なわれていく。
プライドに頼るものは、反比例して、自分を喪失していく。
自分がないとどうなるか?
楽しくない、乗れない、冒険できない、そういう負の連鎖に陥っていく。
19 綺麗な生き方をするには 【人間心理・行動と脳内の法則】
綺麗な生き方を望む人は、実は綺麗な生き方をしない方が達成できる。
綺麗な生き方をしようと思って囚われている人ほど、自分の心だけに毒やマイナスの感情を溜めてしまう。
汚い生き方をしろとは言わないが、綺麗すぎる水に魚が住み着かないように、毒や泥の要素が自分にあった方が、人生を快適に送れる。
綺麗な生き方は余裕があって、快適に人生を送れる人だけが最終的にできるものなんだ。
毒や泥がこの世界には満ちあふれている。
世の中も人の心も思い通りにはいかない。
その中で我々は生きていかなくてはいけない。
ここでいう毒や泥というのは、自分自身のエゴや地の部分、あるいは感情もそうだ。
時には感情は毒にもなるし、清流を泥水に変えてしまう要素もある。
一番人間的、動物的な要素とも言える。
それを発揮しないで、守って隠して避けて生きて、キレイに歩みたいなんて、土台間違っていることかもしれない。
生きていて楽しい人は、毒も泥も食らいながら、自らもそれらを発揮して生きている。
楽しくない人は、毒や泥を避けていても、何故かそれまみれになる運の悪さを持っている。
もっと進化した人は、毒も泥を食らっても平気な上、自分から吐き出される時はキレイに浄化される。
そういう人間になれば、キレイに生きられる。
毒や泥を避けてはいけない。
そんなものあるのが当然なんだ。
最後に言えば、どんな人間でも糞尿を垂れ流す。
生きている以上、最初からキレイなんてあり得ないんだ。
だが、それだって、肥やしになり、次につながっていくものだ。
20 強い人間・弱い人間の差 【人間心理・行動と脳内の法則】
考えて悩んでしまうには、それだけのベースがある。理由がある。
考えるということは思索である、といったら高尚で聞こえはいい。
しかし、イコール悩んでいることでもある。
悩むことは悪いことじゃない。
だが、いつまでもくよくよ悩んでしまうなら問題だ。
それに悩んでいない快調な人は、考えていない。
それで生きられるの? 世の中を渡っていけるの? と言われると、普段考えている人よりも、能力を発揮している。
考えるべき時に頭が自由だから、人の思いつかないアイデアが閃く。
考えて自由になることはほとんどない。
もし考えて、現在の苦境を打破しようと思っているならば、永遠に答えが出ないどころか、ますますがんじがらめになっていく。
脳が囚われと執着で使いものにならなくなっていく。
それに考えてしまう人は自信が少なく、割り切りが悪い。
割り切ることすら考えてしまう。
考えて自信を得ようとしてしまう。
しかし、この世の中に法則があるとするならば、「そうかな、どうかな?」ではなく、「そうなるんだ、そうするんだ」という方が絶対的に強い。
プラス暗示の力も「できるかな、どうかな」ではなく、「そうとしか思えない、それしかない」の世界だ。
心が定まるとき、もはや考えていない。
それしかないのだから。
これほど強いものはない。
こういう人間には絶対に知恵を使っても太刀打ち出来ない。
それに本当に知恵を駆使できているのは、考えていない人なのだから。
プログラムでプラス暗示が深く無意識に入るとき、「そうなる、そうとしか考えられない」状態になります。
しかし、気持ちが定まる前に、自分をがんじがらめにしている無駄な思考に気づくこと、これが大事になります。
21 格好が良い、格好が悪い 【人間心理・行動と脳内の法則】
安全な位置に身をおいて、人から格好良く思われたい。
恥をかかずに、怪我しないでいいように、できればよく思われたい。
それが格好悪い、その時点で。
それって結構その人のオーラとして出てしまっているんだ。
はっきり知覚されずとも、どこかで感じ取られてしまう。
それはそのルーツの中で生きづらいほどに作られている。
好きでなったわけではない。
だからこそ自覚してほしい。
格好良く思われたいこと自体が一番格好悪く見られる。
よく思われたい強い動機があるのに、結果が全く出ない、空回りする…これほど悲劇なことはない。
22 どちらの道が不安か? 【人間心理・行動と脳内の法則】
ある覚悟を持って生きている人間はいじめられることはない。
人に何かされたらどうしようと怯えている人ほど、ストレスになることを人からされる。
限られた人生、いつかは死ぬ。
怯えても一回、強気で行っても一回だ。
怯えて生きているものが早く殺されたり、淘汰されるのが自然界の掟だ。
まだ覚悟したほうが、確率的に生き残っている。
人間界も自然界の範疇からは抜け出せない。
人間的な暮らし、最低限度の幸福だの何だの言っても、結局弱肉強食的なものはある。
殺されはしないけれど、精神的に抹殺される世の中だし、それが現実だ。
生きるって覚悟だ。
強くなるってことは覚悟が増したってこととイコールだ。
どこに行っても何をするにしても、大・中・小の覚悟を身に纏わなければ生きてはいけない。
覚悟を持つって、とても敷居が高く最初は不安だらけのように思える。
だけど考えてみて欲しい。
覚悟がない状態で生きた者ほど、不安だけを拾い、プライドと防衛本能を高くして自分の身を守ろうとするが、結局ストレスだらけの人生になる。
どちらが正解か、考えるまでもない。
人生は惰性に入ると、あっという間に低空飛行のまま過ぎ去っていく。
年齢を重ねるほど、推進力がなくなり、いつ墜落するか、山にぶつかるかの不安で生きることになってしまう。
自分はどちらの道を進むべきか、そこを明確に意識して欲しい。
覚悟を持って生きることは茨の道に思えるかもしれないが、結果的にこれほど楽でストレスのない生き方はない。
これは保証してもいいし、その生き方を望む人に確実に力になれる。
23 理性の奴隷になったら人生は摘む
感覚、いや、理性は怖い。努力が仇になる、やればやるほど深みにはまっていく、それが人生には多く振りかかる。
人間の感情や感覚、心理に関することは、知識や理論を積み重なればプラスに行くかと思うかもしれないが、逆に理性が強まったがゆえに、不必要に考え始めてしまい、マイナスにしかいかなくなる。
今まで考えずに当たり前のようにできていたことにも、意識的な負荷がかかり、リズムが崩れ、途端にぎこちなくなっていく。
感覚が鈍っていき、理性の強さの分だけ不安を呼び込み、焦りとスランプの悪循環に入っていく。
頑張って乗り越えようとするが、理性が大きく介入することで、スポーツ選手のスランプのように当たり前に感覚的にやってきたことが、自然体でなくなり、一番力を発揮できない状態に自ら呪縛してしまう。
勉強すればするほどプラスに蓄積されていく分野とは全く違う世界だ。
そして、人生には勉強よりも、そちらの比率の方が圧倒的に多く、人生のスランプに陥ってしまうと、もはや理性や気合いや知識では、難問を乗り越えられなくなる。
理性に常に重きをおく者は自分の本来の能力を殺し続けている。
そういう時こそ人間本来の原点に返らなければならない。
自分の本能や感覚をおろそかにしてしまった人間は伸び代が全くない、努力の割に結果を出せない凡人以下の存在になっていき、社会の末端をやってしまう。
そこに気づかないかぎり、あらゆる努力が仇となり、運が悪く報われない虚しい人生となる。
抜け出すためにはコアから変えていく必要があり、それなくして、永遠と同じコピーを続け、将来も過去と何にも変わっていない(あるいは時間と共に今よりもっとひどくなる)なんて最悪な結果になる。
24 できの良い生き方、最悪な人生 【人間心理・行動と脳内の法則】
できの悪い生き方をして欲しい。
そのニュアンスは通ってきて肌で実感して欲しいけれど、できが悪い生き方をした方が、非常にできのいい人間になれるし結果を出せる。
できのいい人間ほど、結果はできの良くない運の悪い人生になっている。
一番大事な自分を殺してしまっている。
確かに間違ったことはやっていない、しかしどこかで間違ってしまった。
だから、そういう人ほど、できの悪い人間になって欲しい。
25 孤独な女性の男運 【人間心理・行動と脳内の法則】
男に依存したい、孤独を埋めたいと思っている女性には、ろくな男が寄ってこない。
女性が「さびしい、孤独だ、頼りたい」と心に隙間ができている時に縁がある男はダメ。
ろくな結果になっていない。
孤独はとても厄介で、孤独を埋めようとすること自体、次の大きな孤独と怪我を作り出す。
生じた孤独を何とかしようもがくと、もっと男運、人生運が悪くなる。
特に女性は結婚・出産という時間的な制約もあるし、身体的に傷つきやすいところが男よりも恋愛面ではるかにリスクが大きい。
だから今後の人生を考えたら、根本的に変えていかなくてはいけない。
孤独感も依存心も無くなり、自己肯定感を持つように変わらなければ幸せになかなかなれない。
そういう人ほど、幸せは依存先の相手次第だからだ。そして相手は幸せにしてくれる男ではないことが多いのだから。
内面のもろさが前と同じ失敗を繰り返させる。いつまでも進歩しない。しかし幼少期から積み上げてきたものとリンクしているから、自分の意志の力ではどうにもならない。
幼少期からの心の因縁を根底的に覆さないと、一生男運が悪く人間関係にも恵まれないまま、孤独を埋めたくても埋められない孤独感で潰れていってしまう。
そういう流れの人はたくさんいます。女性の方は特に気をつけて下さい。
発言者:岩波英知 1946年栃木県生まれ 東京と大阪で世界最先端の独自の脳内プログラムを開催。 誰ももたらすことができない決定的な脳内体感を体験した多くの有名人や芸能人、医師や経営者にファンが多い 。 自著(奇跡の脳覚醒)より抜粋 脳の魔術師、鬼才と呼ばれる心理脳内コンサルタント。 若い頃より人間の計り知れない可能性に興味を持ち、脳に関する独自の研究を行う。 そして、誰も到達できない脳覚醒技術の開発に至る。 その技とノウハウは世界一と称されており、岩波の脳覚醒セッションには、その凄さと評判を聞きつけたクライアントが世界中から駆けつけている。 また、その技術のみならず、岩波の言葉は多くの人に大きな刺激を影響を与えている。 |
執筆者・編集者:Dream Art Laboratory 担当スタッフ |